2002,2007,2011のギリシャの旅の話を書いていたら、昔ルーブル美術館でやっていたプラクシテレスの展覧会を思い出した。
いつごろだったかなぁ・・・当時撮った写真を探したが見つからない。
ルーブルのサイトを検索したら、2007年夏だったとすぐに出てきた
↑このサイトの表紙になっている顏は代表作とされる「クニドスのアフロディテ(ヴィーナス)」。
プラクシテレスは紀元前350年ごろ活躍し、人類史上初めて全裸女性の姿を「クニドスのアフロディテ(ヴィーナス)」として彫刻した。
当然、物議をかもした。
発注した街が受け取りを拒否したのでクニドス市が購入し、この名前で知られることとなった。
昔も今も、保守的な自治体と先進的な気風の自治体があるものです。
クドニス市は神殿に設置。
物議をかもしたから限定公開、ではなくい。
一般市民が訪れて、三百六十度からみられる場所に設置した。
噂は他の街にもとどき見物客がやってくる、いわば観光地になった。
伝説によると、ある日アフロディテ(ヴィーナス)女神自身がやってきてこういったそうな。
「プラクシテレスはいつ私の裸体を見たの?」
クニドスは観光戦略も成功させたんですな(^^)
その後、裸の女神像は他でもどんどんつくられるようになったとされている。
プラクシテレスの作品はこうして有名になり、古代オリンピアからも注文がきた。
現在、唯一「もしかしたらプラクシテレス自身の手になるかも」といわれている「オリンピアのヘルメス」がそれ。
小松は一度だけオリンピアを訪れた時に見たけれど、正直なんという感慨も湧かない作品だった。
むしろ「ローマ時代の凡庸なコピーだ」という説がただしいように思う。
話題作は誰でも見てみたい。
「それを見た」ことが自慢になる。
権力や財力がある者は「同じものを所有したい」と思う。
何百年にもわたり多くのコピーが製作され、
それぞれのコピー作品にも優劣があった。
プラクシテレスから約百五十年後の人である旅行者パウサニウスは「ギリシャ案内」で言及している。
紀元前一世紀のストラボンも、
紀元後二世紀のルキアノスも、
彼らの本の中にプラクシテレスの作品を見たことを書いている。
ポンペイが滅亡する時に死んだ紀元後一世紀の大プリニウスは作品リストをつくっていたそうな。
いわば、現代の我々が江戸時代の有名作家を褒めているように。
これら古代の人々の「感想文」は一度中世の闇に沈んでいたが、
古代ギリシャ・ローマを再評価するルネサンス時代になると、文章の中からプラクシテレスの名前が知られるようになった。
ひとつのオリジナル作品も残っていないにもかかわらず、
プラクシテレスは文化人の一般教養のひとつとなった。
バロック時代の巨匠ベルニーニだってきっと知っていただろう。
やがて遺跡発掘が最盛期になる十九世紀。
たくさんのプラクシテレス似の作品が掘り出される。
アテネの考古学博物館にも並んでいた同じようなポーズの品々はそういうモノだったのか。
伝説は伝説をよび、
二千三百年後にルーブル美術館で、ついに
「ひとつのオリジナル作品も残されていないプラクシテレス」の展覧会が開催されることになった。
その時2007年、はじめてプラクシテレスの名前を知った小松は、ちいとも展覧会細部を記憶していない。
ああ、今ならもう少し楽しめるのになぁ、もういちど、どこかでやってくれないかしらん。
絵画とちがって彫刻は輸送がたいへんだから日本ではやらないだろうなぁ・・・
だいいち「オリジナル作品がひとつも知られていない古代彫刻家」の展覧会というのでは、
日本ではお客が集まらないだろうからスポンサーもつかないか・・・。
ここはやはり本家本元のギリシャで開催してほしい。
多くの作品を遠距離輸送させる必要がなく
(何を展示するかにもよるが)大行列となることまちがいなし。
もしも、実現したら、アテネまででも飛んで行きたいです(^.^)