これほどのモザイクに覆われた教会はなかなかない

「血の上」とは、この教会がロシア皇帝アレクサンドル二世が爆殺された時に流れた血の上に建てられた教会ゆえの名前である。

 

↓爆殺時の情景が当時のニュース記事に描かれていた↓

※モスクワの歴史博物館の展示より

ロシア歴史博物館に展示されていた遺体を安置した写真↓赤い枕はその時のもの↓

1881年3月1日、雪の残る川岸を走る馬車を狙った爆弾、一発目は皇帝の前をゆく護衛の馬車を粉砕した。皇帝は部下を案じて馬車から降りた。そこに二発目の爆弾が投げられた。

皇帝の血が流れた石畳が、教会の中に残されている↓

教会の建設は息子のアレクサンドル三世のよって1883年にはじまったが、完成までに二十四年の歳月が必要になった。7000㎡におよぶ完璧なモザイク画である。

↑人物の大きさと比べてもらえばモザイク画の巨大さが伝わるだろう↑

 

 

他に例をみないすばらしい教会だが、皇帝の為に建設された教会は、ロシア革命後のソ連政府によって爆破される計画もあった。が、すぐ近くのロシア博物館にも影響がおよびかねないという理由で爆破は見送られた。

 

教会としては閉鎖となり、劇場の物置になり、野菜倉庫にされ、窓は破れ、贅を尽くした内装も荒れていった。第二次大戦時、ヒトラーのドイツによって九百日間包囲されたレニングラード時代には、餓死した市民の遺体置場になった。

荒んだ教会からは多くのモノが持ち去られた。

↓ウラル産の赤い「バラ輝石=RHODONITEロドナイト」使ったイノコスタシスにはめこまれていた宝石をちりばめたイコンの行方はわかっていない↓下の写真で白黒に見える左右四枚の絵は写真である。

近年、このうちの一枚がアメリカの個人コレクションに発見されたそうだが、公開されていない。

今回、気付いたのはイタリアはラヴェンナのガッラ・プラチディア廟のモザイクを明らかに模している装飾↓※こちらにてイタリアのラヴェンナを訪れた時の写真を載せたブログ日記をご覧いただけます

今日も混んでおります

外に出て振り返る↓尖塔部分はまだ数年は修復中の予定だそうな↓

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ランチには魚のスープ「ウハー」をロシア新幹線の出発するモスクワ駅への途中★「スモーリヌイ修道院」が見えてきた↓

↓1917年のロシア革命勃発時、レーニンが指令本部をおいていた場所である↓

18世紀、ピョートル大帝の娘エリザベータ一世が女子教育の為に設立し、自らも引退後に余生をすごすつもりでたてた修道院。

「スマラー」とは松ヤニのこと。松ヤニを使った樹脂やゴムを生産していたのでこの名前となった。

 

15時発の新幹線に乗るので一時間前には駅に到着。