サンクト・ペテルブルグの「モスクワ大通り」でいちばん印象的なモニュメントはこれかもしれない↓
背後の建物は見るからに社会主義時代のもの。その名も「ソビエトの家」。
1930年代、社会主義ソビエトは町の中心を帝政時代のネフスキー大通りからこの広場に移動させようと考えた。
↑レーニン像が指し示す方向から「レーニン大通り」がはじまっている。
九十年後の現在、モスクワ大通りはそこそこ栄えてはいるけれど、サンクト・ペテルブルグの中心はまだまだネフスキー大通り。
このレーニン像は別の方向からみるとタクシーを止めようとしている姿に見えてしまう↓
翌朝、ホテルから市内に向かう時もまだタクシーを止めようとしております(^.^)↓
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モスクワ大通りの空港近くにはこんな記念碑もある↓
「勝利の広場」は、第二次大戦中の「レニングラード包囲」に耐えた勝利を記念している。
なんと九百日間もドイツ軍に包囲されて、飢餓状態になりながらも陥落しなかったのだ。
↓人民の彫刻のある階段から地下の博物館に続いている↓
モスクワ大通りの街に近い方には凱旋門がある↓
これは帝政時代のもの。表記されていた1826~31年の間にペルシャ、オスマン・トルコ+エジプト、ポーランド+リトアニアと戦い・鎮圧した。勝利を記念して1838年に建設されたものだった。
このしばらくあとのクリミア戦争では大きな敗北をこうむることになるのだけれど・・・
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街の中にはいると、フィンランドとロシアを結ぶ長距離バスをよくみかける↓
フィンランド語でフィンランドのことはSUOMI、ロシアのことはヴェナヤというのかぁ。
**イサク大聖堂は101mの高さに聳える金色のドーム↓
一階部分で四十八本もの花崗岩の柱をもつ↓
建物全体で使った花崗岩柱は百十二本にもなるそうな↓
近くから見上げる柱↓
この建築はフランス人モンフェランによる設計。
カトリック教徒だがこのロシア正教の教会を手がけることになったその時、ある占い師がモンフェランに言った「この教会を建てるとあんたは死ぬ」。
モンフェランは気にせず建築をはじめたが、占いはあたったと言えるだろう。
建設は1818年から1858年まで四十年も続き、完成した二か月後にモンフェランは死んだのだから。
だが、イサク大聖堂を完成させたモンフェランは十分な人生を生きた人物に見える。
人はいずれ死ぬのである。
第二次大戦中、ドイツに三年近く包囲されていたレニングラードには爆弾の雨が降った。
破損したのを修復した跡もはっきり見える↓
**そのまま川の方向へ歩く。公園は春先に花のデザインがあったそうな。その一部が残されている。
↑これは?↓ああ、上から見ると冠のかたちなのですね↓
そして、ピョートル大帝の騎馬像=「青銅の騎士」像のところへいたる↓
この像は彼を尊敬していたエカテリーナ二世が捧げたもの。↓その旨書かれております