これが建設された明治時代中ごろには批判された「水路閣」↓

南禅寺という位の高い寺の境内に、こんな不格好な煉瓦アーチでぶちこわして…

そういう意味では適所ではなかったのだろうが、琵琶湖疏水を京都へ導いてくるために最善の場所ということで、選択肢はなかったのだろう。

廃仏毀釈の嵐によって、寺にはこの計画を覆せるような力はもはやなかった。

 

そんな事情は、百年後の我々には正直ぴんっとはこない。

むしろ、これだけ美しく見る者をわくわくさせてくれるレンガ造りのアーチを境内にたててもらった南禅寺は幸運だったように思えてくる。

水の流れる方向はちょっと不思議↓

↑上の写真で右手方向に流れているのだ

実際に上から流れを見て、不思議な感覚におそわれる↓

↑水は穴に向かって、北方向・山の中へながれているのだ。

「この水、まさか今はつかってないよねぇ」と、通りかかった人が言っていたが、いえいえ、今でも琵琶湖から来たこの水は現役で使用されているのです(^.^)

 

観光客のあいだでは、水路の下のアーチの間から顔出して撮るのがはやりだそうな(^.^)