1321年、フィレンツェ出身のダンテ・アリギエーリは亡命先のラヴェンナで亡くなった。

葬儀はラヴェンナのフランチェスコ教会で行われ、教会横の墓地に埋葬された。

その場所には樫の木が植えられた。

 

1441年にラヴェンナを占領したヴェネチアは、1484年にダンテに敬意を表して礼拝堂を建てた。

当時ヴェネチアで活躍していたピエトロ・ロンバルドに浅浮彫の横顔肖像画をつくらせた↓

この肖像は1780年にゴンザーカ家の出資によって建替えられた現在の礼拝堂内にも掲げられている。↓現在の礼拝堂

1519年、フィレンツェ出身の法王レオ10世は、フィレンツェ政府がかねてより求めていたダンテの遺骨を故郷フィレンツェにもどす許可を出す。

詩聖ダンテの墓があることを誇りに思っていたラヴェンナはおもしろくない。

フィレンツェからの遺骨引取り使節がやってくる前夜、隣接するフランチェスコ修道士会がダンテの遺骨が納められた礼拝堂の壁に穴をあけ、棺にも穴を開け、遺骨を移動させてしまった。

翌日、フィレンツェからの使節団は無駄足を踏まされることになった。

 

遺骨が礼拝堂から移動させられたタイミングが二十世紀にもある。

第二次大戦末期、港と駅が爆撃され、礼拝堂に隣接する地面に三メートルの穴を掘りそこに避難させていたのだ。↓その穴を記念するプレートを見ることができる↓