「プラハの春音楽祭」は市民会館のこのホールで、スメタナの命日である5月12日に「わが祖国」を演奏して開幕する↓
正面祭壇、いやパイプオルガンにはスメタナの横顔↓
「わが祖国」という曲がチェコ国民にとってどれだけ大切なのか、誰にでもひと目でわかる。
ひさしぶりにホール内部見学をして、2009年にここで見た「プラハの春音楽祭」のオープニング・コンサートを思い出した。※2009年の音楽祭とスメタナの墓碑前での写真、こちらに載せました
気軽なコンサートも行われる場所。今晩はBEST OF MOZARTみたいな演目だそうだ↓
天井にステンドグラスの窓を開けるのは当時(1911年完成)は安全性も心配されたとか↓
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ホール以外の部屋も、この建物全体が二十世紀初頭の装飾を結晶させたものだと言える↓
天井に民族伝統の刺繍をそのまま張った装飾もある↓
しかし、なんと言っても圧巻は、ミュシャ(チェコ語なら「ムハ」)が装飾を手掛けた「市長のホール」↓
アメリカ滞在中に「わが祖国」を聴いて雷に打たれたような衝撃をうけ、1910年に帰国したミュシャはこの部屋を祖国愛でいっぱいに仕上げた。天井をとりまくペンデンティブの部分にチェコ民族の英雄たちが描かれている↓
↓バルコニーに出る部分、右側の黒い服を着た人物はヤン・フス↓
ルターに先んじること百年、カトリック教会批判を行って、ボヘミアを宗教改革の先駆に導いた人物。
1415年にコンスタンツで宗教裁判の結果火あぶりの刑で殺された↓
「フス派」の流れを汲むプロテスタントは1618年にハプスブルグに敗れ、それ以降1918年にここで独立を宣言するまでの三百年間支配され続けることになった↓
↑このドアを開くと、下の写真のテラスに続いている↓
1918年、ここからチェコスロヴァキアの独立が宣言された場所。