ストックホルムの旧市街ガムラ・スタン。

フィンランド教会裏の路地に、膝を抱えた小さな男の子の像がある↓

ストックホルムを訪れる旅で、人数が少ない時に時々ガイドさんが教えてくれていた↓

この像の魅力はなんなのだろう?

それほど緻密でもなく、とくべつ美しいわけでもない。

下は夏に訪れた時の裸の「アイロン・ボーイ」↓どう見えます?

今回、冬、マフラーと毛糸の帽子をかぶっていた↓どう見えます?

小松には、夏に見た彼はちっとも面白くなかったのだけれど、

今回、冬。

誰かに毛糸の帽子をかぶせてもらっているのを見て、がぜんおもしろく、生き生きと見えた。

 

美術品と呼ばれるものは、ほとんどの場合「そのモノ」だけで魅力を論じられる。

しかし、実際の美や魅力は、「そのモノ」だけで維持されるのではなく、

置かれている場所や環境によって大きく価値を変えたり・時には完全に失われてしまったりするのだと思う。

 

たとえば、ヴェネチアのフラーリ教会主祭壇に飾られた「聖母被昇天」(ティッツィアーの作)は、

その絵だけでも素晴らしくはあるのだけれど、祭壇から外されて美術館に展示されたとしたら、本来の美しさの半分は失われてしまうのではないだろうか。

 

つまり、作品の魅力には、置かれる環境も含まれている、ということ。

 

ストックホルムの「アイロン・ボーイ」の魅力は、

誰かが日々彼を見てくれていて、マフラーや毛糸の帽子を着せてくれるという環境にある。

誰かに愛されて、日々いろんなかたちでさわってくれる人々がいることで、「アイロン・ボーイ」はいっきに魅力的な存在になる。

もしも、美術館に入れられて「お手をふれないように」とされてしまったら、「アイロン・ボーイ」は死んでしまう。

 

毛糸の帽子をとって、我々観光客が「またストックホルムに来られますように」と我々がなでてあげることも、魅力の一部になっているのである↓

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2017年、《手造の旅》で訪れたストックホルム市立図書館にも、同じ作者Liss Eriksson(1919-2000)が制作したと思われるBOYが座っていた↓

彼も誰かに触ってほしいとおもっていないかしらん?

調べても、よくわからないのですが、きっと同じ作者ですよね?

ご存じの方があれば、教えてくださいませ。