「私たちは長崎の町で目が合った時からすぐに気があった(後年のシーボルトの記述)」

気が合った野良犬を「さくら」と名付けて飼いはじめ、日本を追放される時にもはるばるオランダまで連れて帰ったシーボルトは、きっとかなりの犬好きだったに違いない。

 

長崎の元野良犬は、今もライデンの「シーボルト・ハウス」で、剥製になって展示されている↓

愛妻おいねと二歳のかわいい盛りの娘を日本に残し、一人ヨーロッパに戻ったシーボルトは孤独だっただろう。結婚を勧められても四十代まで一人身だった。

愛犬「さくら」は、二人と長崎を知る唯一の友人。

ライデンの町を「さくら」と散歩しながら、シーボルトは「さくら」にしか話せないいろんな話をしていたことだろう。

 

犬の寿命は人間より短いから、

シーボルトが再び日本へ行く機会がやってくるよりずっと前に「さくら」は亡くなってしまった。

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一方、「さくら」といっしょにライデンへもってこられたケヤキは、いまでもライデン大学の植物園で立派な枝をひろげている↓

添えられた札には、植えられた年1830年が表記されている。シーボルトが一回目の日本滞在から帰国した年である↓このケヤキを植えた時にも「さくら」がそばにいたかしらん↓

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オランダ、ライデンにある「シーボルト・ハウス」には、彼が一回目の長崎滞在から持ち帰った大量の品々が展示されている。

 

「さくら」の剥製がある部屋には、実は日本猿の剥製もあった。

シーボルト存命中に、この「日本博物館」を訪れた人の感想に「きたなくて凶暴な日本独特のサル」とあって、シーボルトは憤慨したそうな。