野崎島の野首教会は無人となった村を見下ろしている。

教会前の鐘を鳴らすことはできるが、それを聴く村民はもう居ない↓

教会が建築当時の姿で見られるのは、あたりまえのことではない↓

1971年に野首集落は放棄された。 その後窓は破れ、屋根も落ちそうになっていた。 

小値賀の文化財を管轄していた塚原さんは、この教会を管轄する長崎の司教に手紙を書いたが、当時の司教は「朽ちてゆくものはそれでも仕方がない」として、当初その保全に積極的ではなかった。

 

管理を委ねてもらわなければ、補修をしたくても手を出せない。塚原さんはなんども手紙を書いたが、長く良い反応はなかった。

だが、司教が交代したタイミングでついに教会側が、建物を役所の管理下におくことを承諾。公費予算を使っての補修が可能になった。今から三十年ほどもまえのことである。

 

数百万円もの予算を使って屋根を直したのだが、その年に台風がやってきて新しい瓦は大きな損害を出してしまった。

それでもめげずに、丹念に素材を吟味してオリジナルのテイストをそこなわないように復元。

修復の指揮をとった塚原さんご本人に教会の構造を伺うと、見かけとは裏腹にとても日本建築的な構造をもっているのだと知った。

 

洋風な天井のゴシックアーチだが、竹を組んでアーチ状にしてしっくいで塗りこめている↓

壁も表面は煉瓦で張ってあるが、内部は日本建築と同じ泥壁。支えている木製の柱は、柱頭のデザインこそ洋風だが壁の部分は埋め込んであるのではなく、半分だけ貼り付けてある↓

↑この部分は実際には支えているのではなく、装飾として付け柱になっているようだ。竹の軽い天井だからそれでよいのだろう。

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1908年(明治四十一年)のステンドグラスも一部残されている。

ガラスの切断面を見るとそれがわかるのだそうだ↓

下の写真、赤いステンドグラスの切断面が、ぎざぎざと不器用にヤットコのようなもので切断されていたのが分かる。これが明治のオリジナル↓

 

対して、三十年ほど前の修復時にはガラスカッターでくるりと丸い切断面になっているのが分かる↓

最近は白アリの被害も一部にではじめて気をもんでおられる。

補修はいちどやれば終わりではない。

もう使われていない百年も前の建物は、時々に誰かが見守って手をかけて・お金もかけてやらないと、どんどん朽ちていってしまう。

現役の教会との大きな違いである。