五島列島の野崎島は、今は無人島になってしまったがかつては大陸との交流が盛んで、キリスト教徒以前からたくさん人の住む島だった。

 

野崎集落から少し登ったこの「サバンナ」のような草原にも、何百年も人々が住む家があったとされる。それが証拠に地表にたくさんの陶磁器片が散乱している。

 

今回ご案内いただいた塚原さんは、考古学の専門家。我々の船が着くまでの時間にも歩き回っていろいろなものを拾っておいてくださった。

 

その中のひとつがこのコイン。真っ黒に腐食してしまっているが、十円玉には見えない。いったいどこのコインだろう?

↑左右に交差した棒は、国旗の様だ。よく洗ってルーペで拡大して舐めるように見てみると・・・上の方に右から「中華民国」と読めた!

 

裏面もよく見てみよう↓

中央のに「十文」と書かれている。縁に沿って円形にアルファベットが並ぶ。右側の「CHINA」の文字をきっかけに、上部にREPBULIC OF」と読めた。

「中華民国の十文銭」これを手がかりにして、ネット検索してみる。

 

中華民国は今でこそ台湾を指すが、清朝をたおした1911年の辛亥革命建国当時は大陸を支配する中国そのものだった。

何種類もの硬貨が見つかったが、ぴったりはまったのが下記のこれ↓

※上から四つ目のコイン

左の下に「開国記念幣」とあるから1912年から間もないころのものだろう。

国旗が現在の台湾のものと違うのが気になる。

調べてみると、現在の台湾国旗である「青天白日旗」は1928年に南京政府が成立した以降のもので、それ以前は下の陸軍旗が使われてたと分かった↓左側の旗だ

これで、このコインが1912年から1928年の間に鋳造されたものであることが分かった。

右側の旗は「五色旗」で、清朝の海軍旗をもとにつくられていた。

 

つまり、交差した二本の旗は陸軍と海軍を表しているのである↓

※一番下が黒色なのでわかりにくくなってます

この五色旗は、五つの民族(漢、満州、モンゴル、ウィグル、チベット)を表すもので、ルーツは仏教旗。または、清朝時代に統治していた民族の融和を表す旗にもなっていた。

 

そして、日本の傀儡国だった満州国の国旗の元にもなっている。

 

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このコインがなぜ野崎島の土に埋もれていたのか、詳細はしるよしもない。

しかし、五島列島が二十世紀前半において、大陸と強い結びつきがあった事の証である。