小値賀島の港からそれほど離れていない(元)岬に、こんな石棺がぎっしり並んでいる遺跡がある。観光で行かないなんてもったいない!数少ないガイドブックでもまったく触れられていないのだ。こんな石棺がごろごろみられる↓

ここから、こんなモノが見つかった↓

★小値賀歴史民俗博物館所蔵・公開中

 

「神の埼」という小さな岬だった場所。そういわれてみると、埋め立てられてしまった港周辺に、昔の岬の地形が残っているのがはっきりわかる。

 

下の遺跡の見取り図で左から半島がのびている↓

 

上の図で、道路が遺跡を残すために少し湾曲しているのが分かるが、下がその写真↓

道路建設にあたり避けるように指示がされたのだが、現場を任された人が掘りすぎて、一部の石棺がある場所まで削ってしまった。

 

そこで、研究者の方が、断面を見えるように工夫したのが、上の写真でコンクリートが切り込まれている場所。下はその石棺の断面図↓

一族の墓は時に同じ穴に新たに石の蓋をして埋葬したと考えられている。つまり、石の仕切りをつかって、上下に埋葬が続けられたらしいのだ。

 

岬の上にのぼってみると↓

 

この墳墓群は弥生時代後期から五百年近くにわたり使い続けられたと思われる。ローマでコロッセオが建設された紀元後一世紀、ディオクレティアヌス帝が最後のキリスト教迫害をしていた頃と言えば分かりやすいだろうか。

 

この小さな岬に、三十もの石棺が折り重なるようにして発見されたのは1983年。訪れ人が分かりやすいように現在の看板が整備されたのは去年のこと。

今回、発掘されたご本人に解説していただく機会を得て、実に興味深かった。

五島列島は隠れキリシタンよりもはるか以前から交易や捕鯨によって栄え、豊かな歴史が刻まれてきた場所だったのだ。