冷たい雨が一日降る午後三時過ぎ、これなら国立美術館の「国宝展」も空いているかと思って行ったのだが、相変わらず入場制限で屋外三十分待ちだという…。

冷たい雨に三十分うたれて、混みあった館内で見学するのは遠慮して、西洋美術館で開催してる「ホドラー展」へ行くことにした。
ホドラー展
フェルディナント・ホドラーはスイスの国民的画家だが、日本ではさほど有名ではないらしい。ほんとうにゆっくり見学できた。

ずっと以前、ジュネーブの美術館でスイスの歴史を画いた壁絵と、美しいアルプス山の絵が目に留めて以来、名前を覚えていた。

●フェルディナント・ホドラーは1853年、ベルン近くの村で貧しい職人の息子として生まれた。
※日本では嘉永六年=黒船来航の年

七歳で父を亡くす。十四歳で母にも先立たれる。
六人兄弟の長男だったが、二十歳のころまでに兄弟すべて結核で他界。
自分一人だけが生き残った。

トゥーン近くの画家のところに弟子入りし風景画の手伝いをはじめる。
三年修行するが、絵にサインすることも許されず、出奔。
ジュネーブまで歩いてたどり着き、そこで土産の絵を描きはじめる。
※この頃はまだ写真がなかったから、金持ちの旅行者はスイスの旅の記念に絵を買うのが一般的だった

ジュネーブの美術館で絵を模写している時に、運命が扉をたたく。
そこの教授の目に留まり、面倒をみてもらうようになった。これが彼の人生最大の転機だったと言えるだろう。 この恩師の影響は後々までずっと感じられる。

21歳の時、カラン・コンクールで一位となる。
25歳のころに一年ほどスペインを訪れ、光の描き方に変化がうまれる。

絵画に画かれる人物の配置によってリズムをうみだし
それによって語ろうという手法はおもしろい。

また、歴史画を画く時、そこに登場する人物の表現に力を感じる。小松にはその人間描写がとても魅力的だった。

今日見た作品のなかで歴史物語を背景にした人物描写が気に入ったのは、
○「アハシェロス(永遠のユダヤ人)」と題名のついた作品~十字架を担いで丘をのぼってゆくキリストが店の前で倒れたのに対して「早く行け」とののしったユダヤ人はキリストにこういわれた。「お前はわたしが戻ってくるまで待っているのだぞ」。そしてそのユダヤ人はキリストが再来する日まで世界を放浪しながら老いさらばえ、死ぬことも出来ないという運命を背負った。
○「傷ついた若者」は、もともとは旧約聖書の「よきサマリア人」のエピソードに出てくる強盗に襲われ身ぐるみはがれた瀕死の怪我人を描いたもの。

そして、晩年の恋人ヴァランティーヌが、病でやせ細って死に至る姿を画いたもの。
彼の娘を出産するときには、すでに余命わずかと分かっていた。
痛々しいような姿を、冷静なデッサン力で描き、最後にはキリストの遺骸のように描いている。
実際、バーゼルにあるホルバインの「死せるキリスト」はホドラーに感銘を与えていたから、画いたときにそのイメージがあったのは間違いないだろう。

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絵と、それを画いた人の人生を知ることは、本来別の事のはずだ。
しかし、人は、どんな時にも物語から切り離されて生きることは出来ない。