小松亮太が選ぶプレイリスト第2弾!

1940年代〜60年代までのタンゴの基本編成「オルケスタ・ティピカ」(バンドネオン最低3、バイオリン最低3、ピアノ、ベース)で活躍したアーティストたちの名演を適当に選んでみました(なにしろたくさんありすぎるので‼️)。
第二次世界大戦による特需でアルゼンチンでバブル経済が起こり、音楽にいくらでも金がかけられる時代になって、こんな贅沢な楽器編成が「標準型オーケストラ」と呼ばれていたわけです。

音譜プレイリストはこちらからお楽しみいただけます


1.カルロス・ディサルリ楽団「エル・レティラオ(リタイアした人)」
ディサルリはピアニスト。後年になればなるほど、余計な贅肉を削ぎ落とした「何もなく、すべてがある」音楽性を目指した。が、これは彼の初期の演奏なのでロマンティシズム満載。バイオリンのロベルト・ギサードの名演がたまらない。

2.ロベルト・セリージョ楽団「エル・タイタ」
例えばダリエンソ、トロイロ、ディサルリ、プグリエーセ…みたいな有名楽団では全然ない。けれどもこれぐらいの技術とサウンドを実現するのは普通の時代だった。この曲は2台ピアノで録音されている。

3.歌:ロベルト・ゴジェネチェ バッファ=ベリンジェリ楽団(編曲ラウル・ガレーロ)「最後のコーヒー」
タンゴの歌に興味がない人でも、ゴジェネチェの歌にだけは耳を奪われるはず。僕は88年に彼のライブを見たが、酒とクスリでボロボロのくせに溢れ出る味と存在感で観客を圧倒。天才の中の天才だった。

4.アニバル・トロイロ楽団「ノクトゥルナ」
アストル・ピアソラの師匠格といえば、バンドネオン奏者のアニバル・トロイロ。単純な音の繰り返しに過ぎない曲だが、そこにド迫力のリズム感を加味しているのはタンゴにジャズ風味をふんだんに取り入れたピアニストのオスバルド・ベリンジェリ。

5.アルフレド・ゴビ楽団「かんなくず」
ベースラインを、よ〜く聴いてほしい。こういうベースラインはピアソラの常套手段。でもこの録音がなされたとき、ピアソラは20代前半。つまりピアソラはこういうところからネタを引っ張ってきて自分の音楽を醸成していたのだ。

6.オスバルド・プグリエーセ楽団「茶色と水色」
伝統派であるはずのオスバルド・プグリエーセ楽団が、ピアソラの曲に挑戦。革新性とトラディションの境目に花開くタンゴサウンドが僕は大好きです。

7.アストル・ピアソラ楽団「デデ」
アストル・ピアソラが最初の奥さん(デデさんという人)に捧げた曲。映画で見る限り、本当に良妻賢母な美しい女性だったが…こんないい奥様を捨てたピアソラの真意は…?

8.フアン・ダリエンソ楽団「コントラ・ルス」
ダリエンソのレパートリーの中でもあまり有名ではない。僕は14歳のとき、この録音を耳コピした日本人の演奏で衝撃を受けた。同じことを延々くり返すスポーツ的快感だけでできた曲。

9.オラシオ・サルガン楽団「愛しき故郷」
知的なタンゴといえばピアニストのオラシオ・サルガンに尽きる。一瞬一瞬のリハーモナイズが知的で綿密。1972年、世界三大オペラ劇場のひとつ、コロン劇場でのライブ。

10.オスバルド・ピーロ楽団「天使のタンゴ」
ブエノスアイレスのバブル経済が弾けたあと、当時「最も若い楽団」として台頭したのがバンドネオン奏者のオスバルド・ピーロ。ピアソラが50年代に一度だけ録音した曲をめいっぱい爽やかにアレンジして演奏。

11.ビクトル・ダマリオ楽団「木曜日」
無名だが僕が大好きなオルケスタ。何しろアレンジが、どれも普通に聴こえて実は秀逸なのだ。本当は「La Guinada(ウィンク)」という曲にしたかったが、残念ながらSpotifyにはなかった。ダマリオはウルグアイ人のバンドネオン奏者で若くして亡くなった。僕はお兄さんのバンドネオン奏者、トト・ダマリオと話をしたことがあるが、まさかこの2人が兄弟だとは思わず…その2ヶ月後にトトさんも亡くなった。

12.エドアルド・ロビーラ楽団「バンドー」
ピアソラほどは有名にならず、しかしタンゴの前衛派の1人として小さく名を馳せたロビーラ。バンドネオンのテクニックはピアソラよりもさらに上。4歳年上のピアソラにリスペクトを込めてピアソラの初期作をアレンジして演奏している。

 

 

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