みなさんこんにちわ、小松あやです。
 

 

今夜は夫が飲み会で不在なので、

 

 

実家に行って、

娘を母親に預け、

 

 

父親とディナーデートをしてきました。

 

 



 

しっぽり焼き鳥。

 

 

焼き鳥つまみに父と飲むところが、

 

 

ああ、私も大人になったんだなあ

 

 

って思いますニヤリ

 




 

こうして父と二人でご飯を食べると、

昔を思い出します。

 

 

 

 

 

もう10年前になりますが、

 

 

私が離婚するかしないかの

人生どん底だった時に、

 

 

こうして父と二人で

よくごはんに行きました。

 

 

いつも誘うのは私からだった気がしますが、

 

 

何を隠そう、私、当時、

 

 

こそっと人目を偲んで

東京に住んでおりまして指差し

 

 

 

 

 

 

前の夫とは地方に住んでいたのですが、

 

 

別居が決まり、

一人東京に出てきていることを

 

 

誰ひとりにも言ってなかったんですね。

 

 

今となっては笑い話ですが、

 

 

友人の結婚式に参列するのに、

本当は式場のすぐ近くに住んでいるのに、

 

 



地方から出てきた風を装って、

スーツケースを持って

参列したこともあります昇天

 

 

 

 

 

というわけで、

 

 

「東京に住んでいる」ということを

ひた隠しにしていた時期は、

 

 

正真正銘の、

 

 

 

 

 

友達がいないやつにっこり

 

 

 

 

 

なので、

一緒にごはんを食べてくれるのは、

 

 

実家の親ぐらいしかいませんでした。

 

 

特に父親は、

離婚に賛成するも反対するもせず、

 

 

いつもニュートラルな感じの

立ち位置で見守ってくれていたので、

 

 

なんでも話しやすかったのかなと思います

 

 

そんな父親には

ほんとに感謝してもしきれないくらい、

 

 

恩を感じているのですが悲しい

 

 

中でも一番、

私が感謝していることがありまして。

 

 

それは、

 

 

 

 

 

私を実家に戻って来させなかったこと。

 

 

 

 

 

夫婦喧嘩した時に、

 

 

「実家に帰らせていただきます」

 

 

っていうキラーフレーズも

あるぐらいですから、

 

 

普通、別居したら、

実家に帰りそうなもんですよねちょっと不満

 

 

私も当時24歳、

仕事もやめてしまい、貯蓄もなく、

 

 

極貧も極貧状態だったので、

 

 

別居したら当然、

実家に帰ろうと思っていたんです。

 

 

しかし、

その意思を伝えると、

 

 

父親がお金を貸してくれて、

私に一人暮らしをさせてくれたんですね。

 

 

母親は「帰ってきなさいよ」

と言ってましたが、

 

 

父親は、

 

 

「帰ってきたら、こいつはだめになる」

 

 

とでも思ったんでしょうね。

 

 

確かに実家だったら、

 

 

働かなくても

食べていけるし暮らしていける

 

 

親に甘えて、

離婚のごたごたから逃げていられる

 

 

もしかしたら

親になだめられて、

 

 

もう色々めんどくさいし、

夫との家に戻ろう・・・

 

 

なんていう展開もあったんじゃないか

とも思いますちょっと不満

 

 

でも父親はきっと、

 

 

そんな私の怠惰な性格を

見透かしてたんでしょうね。

 

 



「別居するぐらいガッツを持って

東京に戻ってきたなら、

一人で、自分の力で、生きてみろ!

最後までひとりで、納得するまでよく考えろ!」

 

 



と、

 

 

あの時私に

実家の門をくぐらせなかったところが、

 

 

きっと今日という未来に

繋がったんだなと思いますお願い

 

 

 

 

 

心配ばかりかけて、

迷惑ばかりかけて、

 

 

まだまだ親孝行と言えることは

あまりできていない私ですが、

 

 

あの時の感謝の気持ちを忘れず、

 

 

少しずつ、

 

 

でも急速に、

(父は来月77になるのです昇天)

 

 

親孝行したいなと思った夜でした。

 

 

それでは今日も読んでいただきありがとうございました。
Have a good one!!!