ニット:UNIQLO Cashmere
サロペ:NO BRAND
バック:PRADA
ファージャケット:Banana Republic
足元はブラウンタイツ
プチプラプールサイドのパンプスは
履きやす過ぎて同じの二代目。^^
パンプス:POOL SIDE
ブログで書いてませんでしたが、
おかげさまで先日母が退院し、
その後の日々は、
愚痴ろうと思えば、エンドレスになりそうであり、
毎日好きな格好することくらいしか楽しみがないくらい
修行のような毎日を送っております。。
おまけに母のパシリ&召使いみたいで、
私って今ナニモノ?って感じだし。。
昨年末、病院で母の介護のこと聞かされた時、
『これからどうすっかな~』
って世間のお宅の介護事情をあれこれ検索してて、
ふと見つけた、
母親の介護一切を担ったある30代の男性の投稿を読んで、
『そこまで言っちゃうのか・・・』
って唸ってしまったことが
たった一ヶ月で、
さすがにそこまで言うつもりはないけど、^^;
『言わんとしてることは
わかる!!』
と同情してしまったのが、
下記の方の投稿。
~一部引用させていただきました~
親の介護は、民法で義務とされていますがなぜですか?
自分のケツくらい自分でふくのが常識ではないですか?
それができないのなら、死ぬのが当然でしょう?
親の介護をする身内は30代の自分しかいません。
海外勤務の話があったのですが、介護があるので行けませんでした。
多額の金がかかるので、
子供の教育費も満足に出してやることができません。
ホント、金はかかるわ、仕事はできないわ・・
親の介護のせいで、自分の人生滅茶苦茶です。
source:Yahoo 知恵袋 『親の介護のせいで、自分の人生滅茶苦茶です』
私の最大の武器は
”THE開き直り”なんで、^^;
もはやその境地ではあるのですが。。
先日、
母を側に載せ車を運転してる時に浮かんだのが、
”おりんおばあさん”の話。
時代が古すぎて知ってる方ほとんどいなさそうなんですが、
超ウルトラ大昔の映画
『楢山節考(ならやまぶしこう)』っていうのがあって。。
↓
ざっくり過ぎるストーリーながら、
昔の寒村地域では食べることが精一杯。
老人は70歳になったら山に捨てられるという
一部の地域で実際にあった風習を映画化したもので、
『親を捨てるか?子を捨てられるか?』
っていうシリアスなテーマの映画。
子供の頃、家にあった週刊誌で、
その映画を知り、
『えー!親を山に捨てちゃうのー?!』って食い入るように読んだのが
公開当時の1983年。
当時小学校低学年だった私がそんな渋すぎるストーリーに興味を持つって
『子供としてどうなんだ?』
って突っ込みは置いておいて。^^;
で、信号待ちしている車中で、
『今のタイミングで(リハビリ途中な)この母を山に連れていって
どこかに座らせてしまえば、
自力では立ち上がれないから、
姨捨(おばすて)山の”おりんおばあさん”みたいに置き去りになるのだな・・・』
やんないけどさー』
なんてよぎったわけです。
それで、
映画とはいえ、
70歳目前、69歳にして息子演じる緒方拳の背中に背負われ、
雪降る山に連れて行かれ、
なんとも言い難い表情なおりんおばあさんの姿を思い出しちゃったりして。。
69歳をとっくに超えていて、
歩行が不自由になりつつも、
それ以外は元気過ぎて困るうちの母を横目に、( 一一)
『お母さんは今の時代の老人で良かったねぇ~』と思ったり。。
ちょうど昨日、
認知症の人が、10年後に高齢者の5人に1人
”新オレンジプラン”とやらの政府の認知症対策を発表してて、
その概要も、
『認知症の人の意思が尊重され、
できる限り住み慣れた地域のよい環境で、
自分らしく暮らし続けることができる社会の実現を目指す』としていて。。
時代が違うだけで、
70歳前のピンピンの年配者が山に捨てられるか、
認知症はもちろん、
自力で生きられなくなっても手厚い高度医療で生きられちゃったり。。
『ここまで違うとはねぇ~』
足腰の筋力がまだ完全ではなく、
歩行が不自由なだけの母は、
介護というほどのことはしてないけれど、
ただ、
今まで当たり前にできていたことができないとか、
えらく時間がかかるとか、
それだけでも、介助する側の負担ってそれなりにあり。。
自分の時はどうしようとか、
ずっと遠い未来だったはずの”老後”が急に近づいて見えたり、
平行して、
自分の人生の残り時間について考えてみたり、
昨今の老年世代のアンチエイジングっぷりや、
認知症になっちゃってもやさしくね~って社会体制とか、
老後のお金のこと等あれこれ。。
まとまってないけれど、
そーゆー諸々の避けては通れないこと、
見て見ぬふりをするとか、フタをするんじゃなく、
がっつり目を見開いて、準備できることはしたいし向き合っていきたいなと。。。
介助レベルが軽度であっても、
今までとは違い、
ゆるやかに、
でも確実に老いに向かっている母の存在が教えてくれてるようでもあって。。
ぶっちゃけ姨捨(おばすて)山がよぎるくらい
自分の生活サイクルが狂い、
面倒くさいことばかりなんですがねー、
半面、
介助が必要になった母の存在は、
まだまだ甘っちょろい自分に、
その言葉そのものの解釈はひとそれぞれであっても、
”地に足をつける”とか、
”真っ当に生きる”とか、
そんな”強く生きぬく精神力”みたいの、
鍛えてもらっているようです。^^;
あなたのご両親の存在は、
あなたにどんな力をつけてくれるような存在ですか?
あなたにどんな力をつけてくれるような存在でしたか?
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