令和元年 ~むかしの花見は「梅」だったことなどあれこれ③~ | ベンチャー・キャピタリストの困難で楽しい毎日

令和元年 ~むかしの花見は「梅」だったことなどあれこれ③~

 

<前回から続く>

 

 

 

 「令和」の改元を祝いつつ、久しぶりに目にした「貧窮問答歌」を最後に掲げましょう。「令和」の時代が、貧窮問答歌に詠まれたような惨状に陥ることなく、梅の花の歌のように優美で平和な時代となることを願って。

 

 

 

 

 

風交(ま)じり 雨ふる夜の 雨交(ま)じり 雪ふる夜は すべもなく 寒くしあれば 堅塩(かたしほ)を 取りつづしろひ 糟湯酒(かすゆざけ) うちすすろひて しはぶかひ 鼻びしびしに 然(しか)とあらぬ ひげ掻(か)き撫(な)でて 我(あれ)を除(お)きて 人はあらじと 誇(ほこ)ろへど 寒くしあれば 麻衾(あさぶすま) 引き被(かがふ)り 布肩衣(ぬのかたぎぬ) 有(あ)りのことごと 着襲(きそ)へども 寒き夜(よ)すらを 我(われ)よりも 貧しき人の 父母は 飢ゑ寒(こ)ゆらむ 妻子(めこ)どもは 乞(こ)ひて泣くらむ この時は いかにしつつか 汝(な)が世(よ)は渡(わた)る 天地(あめつち)は 広(ひろ)しといへど あ(吾)がためは 狭(さ)くやなりぬる 日月(ひつき)は 明(あか)しといへど 我(あ)がためは 照りや給(たま)はぬ 人皆か 我(あ)のみや然(しか)る わくらばに 人とはあるを 人並に 我(あれ)もなれるを 綿もなき 布肩衣(ぬのかたぎぬ)の 海松(みる)のごと わわけ下がれる かかふのみ 肩にうち掛け 伏廬(ふせいほ)の 曲廬(まげいほ)の内に 直土(ひたつち)に 藁解(わらと)き敷きて 父母は 枕の方(かた)に 妻子(めこ)どもは 足(あと)の方(かた)に 囲(かく)み居(ゐ)て 憂(うれ)へ吟(さまよ)ひ かまどには 火気(ほけ)吹(ふ)き立てず 甑(こしき)には 蜘蛛(くも)の巣(す)かきて 飯(いひ)炊(かし)く ことも忘れて ぬえ鳥(どり)の のどよひ居(を)るに いとのきて 短き物を 端(はし)切ると 言へるがごとく しもと取る 里長(さとをさ)が声は 寝屋処(ねやど)まで 来立ち呼ばひぬ かくばかり すべなきものか 世の中の道 

 

 

 

 

 

 

 

世の中を憂(う)しとやさしと思へども 飛び立ちかねつ鳥にしあらねば