ベンチャー・キャピタリストの困難で楽しい毎日
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2018年12月31日(月)

2018年としの瀬の来訪神

テーマ:忙中閑あり

 


 「泣ぐ子はいねがー!泣ぐ子はいねがー!」



高千穂夜神楽の猿田彦面

  



 大晦日の今宵、秋田男鹿半島の家々に恐ろしげな声が響く頃合いになりました。実際に観た人によると、大人でも恐怖感を感じるような迫力があるということです。ですから男鹿の子供たちが心底震え上がるのも無理はありません。私も一度体験したいと思いながらまだ果たせていません。(因みに、ちりばめる写真は、日本国中の他の関連伝統芸能のものです。)今年は、ユネスコの世界無形文化遺産に登録された威勢を駆って、子供たちにとっては例年にも増しておっかないなまはげになってしまっているかもしれません。

  

 「なまはげ」という名前の由来は、もともと「ナモミ剥(は)ぎ」のなまったものであると言われています。「ナモミ」とは、囲炉裏に長時間当たっているとできる「火ダコ」のことだそうです。長時間火に当たるとタコができるという体験はしたことがないので、私には判然としませんが、つまりは「怠け者の象徴」ということでしょう。冬期に仕事もしないで囲炉裏端で怠けている者を懲らしめるために、来訪神が現れて、「怠け者の象徴」である「ナモミ」を包丁で剥(は)いでいくという設定です。「男鹿半島のなまはげ」と同時に世界無形文化遺産に登録された、「能登のあまめはぎ」なども類似の来訪神で、「あまめ」とはやはり「火ダコ」のことです。




猿田彦神


 これらの来訪神は早くから民俗学の研究対象となっていて、柳田国男や折口信夫、古田三郎らが多くの研究を遺しています。元々は小正月(太陽太陰暦の115日)の来訪神が、明治の改暦にともない、多くが大晦日に移行したものと思われます。そして、こうした研究が土台となって、今回のユネスコの申請につながっているのです。  

 

 ユネスコの申請について、前から不思議に思っていたことを今回調べてみました。それは、最近の日本からの申請、「明治日本の産業革命遺産(2015年記載)」や「山・鉾・屋台行事(2016年記載)」など、地域の離れた遺産や伝統行事が、セットとして登録される例が増えているのではないかということです。すると、「シリアル・ノミネーション」という申請方式に行き当たりました。「シリアル・ノミネーション」とは、一定のテーマに沿った遺産を、地域を隔てて、時には国境を跨(また)いで登録申請する方式だということです。そういえば、上野の「国立西洋博物館」が登録されたときも、「ル・コルビュジエの建築作品(2016年記載)」として、複数の建物が国を跨いで登録されていましたっけ。これが「シリアル・ノミネーション」だったというわけです。




高山祭の屋台行事



長浜曳山祭りの曳山行事 

(こども歌舞伎)

 

 しかも、「なまはげ」を含む今回の「来訪神:仮面・仮装の神々」は、既に無形文化遺産として登録されている、鹿児島県「甑島のトシドン」を拡張登録したものだということも分かりました。つまり、新規に登録を獲得したわけではなく、既に登録してあったトシドン(鹿児島県甑島に伝わる「年神さま」。)に、「なまはげ」や「あまめはぎ」等を追加して登録し直した、ということになっているとのことです。従って、日本の世界遺産登録数が増えたわけではない構成になっているのです。それにしても、世界遺産登録って、ずいぶんと自由度が増してきているんですね。

 


<政府資料から抜粋>

 

「来訪神:仮面・仮装の神々」は,我が国より提案した「男鹿のナマハゲ」

 

が平成23年のユネスコ無形文化遺産保護条約第6回政府間委員会(バリ・

 

インドネシア)において,既に登録されていた「甑島のトシドン」との類似

 

性を指摘され,「情報照会」の決定を受けたことを踏まえ,国指定重要無形

 

民俗文化財(保護団体認定)の10件を構成要素としてグループ化し,「甑

 

島のトシドン」の拡張提案として提案するものです。

  

 日本政府が「シリアル・ノミネーション」を強化している背景には、一つの戦略があるような気がしてなりません。「地方振興」です。伝統ある古き村々には、良き祭りがある。少なくとも、「山・鉾・屋台行事」と「来訪神:仮面・仮装の神々」に関しては、安倍政権の一連の経済政策の恩恵に与りにくかった地域が狙い撃ちにされています。してみると、これは新手の観光戦略ということになるのでしょうか。




高山祭 からくり人形



 政府がユネスコに申請した無形文化遺産登録の申請書には、次のような行(くだり)もあります。  

 

 

<政府資料から抜粋>

 

「来訪神:仮面・仮装の神々」は,正月など年の節目となる日に,仮面・仮

 

装の異形の姿をした者が「来訪神」として家々を訪れ,新たな年を迎えるに

 

当たって怠け者を戒めたり,人々に幸や福をもたらしたりする行事である。

 

「来訪神」行事は,伝承されている各地域において,時代を超え,世代から

 

世代へと受け継がれてきた年中行事であり,それぞれの地域コミュニティで

 

は,「来訪神」行事を通じて地域の結びつきや,世代を超えた人々の対話と

 

交流が深められている。

 

 

 

 今回、ユネスコが登録を認定するに当たり、特にこの「世代を超えた地域の絆(きづな)」を重視して決められたとききます。地域の絆が失われるにつれ、各地の行事は廃(すた)れ、来訪神も訪れなくなってきています。

 

 

 

 政府が、「シリアル・ノミネーション」を駆使して地域振興を図っているのだとしたら、私は大賛成です。来訪神が通年で観光客をもてなしてくれることによって、地域経済は潤い、都心部に人々が移住することに一定の歯止めがかけられるのかもしれないからです。


 

 しかし、そのことと、伝統的な「世代を超えた絆」を継承していくこととの間には、依然として大きな隔たりが残ります。ここには、来訪神を金ずくで来臨させているような、一種の野蛮さを感じなくもありません。私たちは来年もまた空虚な労苦を重ねてしまうことになるのでしょうか?

 


 茫漠とした心に、早くも撞き始めたらしい除夜の鐘の音が響いてきます。

 

 おんあぼきゃべいろしゃのうまかぼだらまに

 

 はんどまじんばらはらばりたやうん

 
2018年12月02日(日)

日産ゴーン会長逮捕 ~四層構造で読み解く関係者の力関係~

テーマ:時事評論

 

 日産のゴーン会長逮捕の報道には心底驚きました。日本の一般的な社会で「経営者」という職業が未だ「プロフェッショナルの仕事」であるという認識が未成熟であった時代に、「プロ経営者」の力量を遺憾なく日本国中に知らしめたのが、カルロス・ゴーン氏であったと認識しています。そういう意味では、「職業としての経営者」の概念を確立した人物の逮捕劇に、私自身も大いに驚き、残念でなりません。第一印象としては、私自身も海外メディアと同様、陰謀説を疑ったくらいです。しかし、日を追ってゴーン氏が不正を主導したと思しき証拠が数多く集められていることが明らかになるにつれて、驚きの気持ちは残念な気持ちに移行してきています。

 

 現時点では極めて多くの関係者の利害が錯綜しており、これが日本のみならず各国の報道も含めて情報の錯綜を招いている感じがします。しかしもつれた情報の糸も、4つのレベルで整理すると、互いの利害関係が整理されて分かりやすくなるような感じがしますので、そのことを試みてみたいと思います。4つのレベルとは、①司法のレベル、②日産経営権主導争いのレベル、③ルノーグループの主導権争いのレベル、④国家の利害関係のレベル、です。

 

 最初に、①司法のレベルでは、「司法取引制度導入後最初の効果的実績」という点がポイントになるかと思われます。検察側は、司法取引制度導入後に同制度を効果的にアピールできる実績作りとなる機会を探していたはずです。グローバル企業の有名経営者の不正内部告発は、この制度を活用した実績作りに格好の機会を提供したはずです。しかも司法取引に応じることにより、ゴーン氏やケリー氏以外の取締役が免罪符をもらえるという点を忘れてはなりません。日本の会社法では、取締役には相互の不正尾チェックし合う善管注意義務が課せられています。従って、仮に不正を行ったのがゴーン氏ただ一人であったとしても、それを知っていて是正しなければ、他の取締役たちも責任を問われることになります。しかし、司法取引に応じることで、少なくとも刑事罰だけは免れることができるわけで、この制度は、情報を提供する側の他の取締役らにも、そして検査当局にもメリットをもたらしてくれるという構図になっています。

 

 ②日産経営権主導争いのレベルでは、まさに海外メディアが指摘する「クーデター」がポイントになると思われます。正義があるかどうかは別として、私は今回の事件は「クーデター」と考えて差し支えないと思います。徐々に明らかになってくるゴーン氏の行動を見れば、刑事罰に相当するかどうかは措いて、明らかに株主にとって望ましくない、ワンマン体質の暴挙の誹りは避けられないでしょう。しかし、社内またはグループ内でこれだけの権力を握っている人物に異を唱えるには、「クーデター」というやり方くらいしかないはずで、その意味で、紛れもなく今回の事件はクーデターそのものだったと考えられます。

 

 ただし、そのクーデターに「正義があるのか」という点で、意見が分かれる可能性はあるでしょう。海外メディアは、今のところ「正義のないクーデターなのではないか?」という意味で「クーデター」という言葉を使っているように、私には見えます。しかし、ゴーン氏の行動が次第に明らかになるにつれて、正義の証明が徐々に明らかになってきているように感じられます。勿論、「クーデター」と言うからには、そこに「権力への欲望」や「目の上のたんこぶを排除したい」という希求がなかったとは思えません。しかし、それら不純な動機が混じっていたからと言って、どこまでが正義でどこからが不純かを分別することは誰にもできず、加えてそうした動機が不純と言い切れるかどうかさえ定かとは言えないでしょう。いずれにしても、ゴーン氏の行動に株主にとってありがたくない部分が生じている段階ですでに「クーデターの正義」としては必要充分でしょう。この意味で、今のところの情報では(刑事罰を逃れられるかとは別次元で、)ゴーン氏がクーデターの正当性を完全否定することは難しいのではないかと考えられます。

 

 ③ルノーグループの主導権争いのレベルでは、「力のバランス」がポイントになるかと考えます。ルノー側は、最終的には日産と経営統合を果たすか、そうならないまでも日産の経営権を完全に手中に収め、二度とこうしたクーデターが起こらないようにしたいというのが本音でしょう。しかも資本の論理から行けば、ルノーが豪腕に訴えれば、こうした自己の思惑を達成できる可能性は高いと言えるでしょう。しかし、力ずくで目標を達成したときに、日産または日産社員たちのモチベーションを維持できるかが、今後の焦点となりそうです。モチベーションが維持できなければ、優秀な人材の退職や、社内の不活性化を招くことになりかねないからです。このため、ルノーの経営陣は、一方で権力の行使をちらつかせながら、合意形成による妥協点を探ってくるはずだと考えられます。つまりは、アメとムチとを交互に用いながら、力のバランスの落ち着き処を探る展開になる可能性が高いのではないでしょうか。また、もしこの力のバランスの形成に失敗すれば、日産、ルノー双方にとってありがたくない一種の破局を迎えることになるのではないでしょうか。

 

 ④国家の利害関係のレベルでは、マクロン大統領と安倍首相、双方の国内政治基盤がポイントとなりそうです。当然、ルノーも日産も互いの国家を代表する国際企業ですので、単なる企業グループの主導権争いのレベルを超えて、国際問題に容易に発展する災いの種を孕んでいます。検察側は極秘裏に操作を進めたと言っていますが、このような国際問題を孕む刑事事件が、首相に何の相談もなく進められたとは考えにくいです。その意味では、日本政府としてもことが露見したらどのように対処するか、少なからず事前に準備してから望んだと推察されますので、すぐに国際問題としての火ぶたが切って落とされる可能性は低いかと思います。

 

 しかしながら、マクロン大統領は、現在、燃料税の引き上げに端を発する国民のデモの乱発で、政治的な立場が極めて弱い状況に追い込まれつつあります。その一方で彼は、ルノーのためにフロランジュ法まで制定して支配権の強化を図ったと言われる人物でもあります。対して安倍首相は、様々な問題を抱えているとはいえ、当面は政治基盤が特に弱体化しているとは言いにくい状況です。(もちろん政治の潮目はあっという間に変化しますが。)

 

 してみると、強大な権限を持っているが政治基盤が弱体化しているフランスと、政治基盤としては優位な日本との争いという構図になり、ここでもバランスを探る動きが活発化するのではないかと予想されます。

 

 今後の争いは、この4つの層を行ったり来たりしながら進むものと予想されます。そして大局的には①→④という方向で、徐々に軸足が移っていくと予想されます。この過程で、4層のそれぞれに顔をのぞかせている利害関係者が次から次への様々な戦略を打ち出していくことになるでしょう。第一幕は、①の層で、日産国内経営陣と検察の勝ちだと評価できます。そこで用いられた主要な戦術が、司法取引です。しかし、合意形成のための戦いは始まったばかりで、むしろこれからが本戦ということになります。これから1年余りの間、戦略・戦術の観点からも、ガバナンスの観点からも、学ぶことの多い展開となりそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2018年09月29日(土)

京都迎賓館からお招きを受けました。+京都御所界隈名物巡り

テーマ:忙中閑あり

 京都迎賓館からお招きを受けました。

 

 

 

 と言っても、もちろん国賓待遇の応接を受けたわけではありません。お仕事上のご相談があるということで、ビジネスとしてのお招きを受けました。


 

  通常の一般参観とは異なる入り口を指定されて、厳しいセキュリティチェックを経て、中に入れていただきました。通常は見せていただけないお部屋も見せていただきながら、ご相談に応じたのですが、詳しい内容は例によって守秘義務がありますので書けません。

 

 

 

 そこで、これも例によって空き時間を利用して京都迎賓館の周囲を散策した話を書きましょう。

 

 

 

(1)京都御所

 





 

 京都御所は京都御苑という広大な敷地の中にあり、京都迎賓館も京都御苑の北東の位置に建てられています。今回は京都御苑の南側から歩いてアプローチしたため、たどり着くまで遠いこと遠いこと。御苑の敷地に入ってから10分以上は歩かされたでしょうか。途中アポイントに遅れないか、ちょっとヒヤッとしました。あらためて御苑の広大さを思い知らされました。

 

 京都御所の脇の砂利道は広く、壁は遙か遠くまで続いています。壁だけを見て美しいと感じられる場所は、全国広しといえどもそう多くは見受けられないでしょう。

 

 今回は、御所の内部を見学する暇はなかったので、またの機会に譲りましょう。

 

 

 

(2)湯波半老舗





 

 創業享保元年、300年続く有名な湯波の名店です。基本的にイートインはできずに販売のみ、というお店なのですが、お店に入ってもショウケースなど全くなく、販売店ですらなくむしろ「湯波作り工房」という雰囲気です。

 

 今も家族3人で朝2時から湯波作りが始まるのだそうですが、私が訪れたときは、本日分は作り終えていて、煙もくもくの湯波作りは残念ながら見られませんでした。「湯波作りを見たかったら、前日に電話してから来てね。その日によって、作る時間が違うからね。」と、親切な名物おばあちゃんに言われました。だいたい朝7時頃に見に来るお客さんが多いとのこと。次回は絶対に湯波作りを見学したい。





 

 売っているお品は主に3つ。①ゆば汁が固まる前のトロトロの「つまみ上げ湯波」、②柔らかく固まった「さしみ湯波」、③湯波を干して固めた「乾湯波(かんゆば)」。今回は、「つまみ上げ湯波」と「乾湯波」をお買い上げ。

 

 「つまみ上げ湯波」はトロトロなめらかな舌触りが心地よい半液状。大豆のうまみが凝縮していて超リッチなお味。1500円でたっぷり入っています。わさび醤油をひと垂らしして召し上がれ。「乾湯波」は、噛んでいるだけでじんわりうま味が醸し出されて美味。「つまみ上げ湯波」とは全く別種の美味しさで、湯波の奥深さを感じさせられます。同じ乾湯波でも、早いタイミングで引き上げて乾燥させたものは、少し透明感があって、清涼な味わいであるのに対して、最後に引き上げて乾燥させたものは、肉厚で黄色っぽくってコクのある味わい。「同じ乾湯波でもこうも違うものか」とびっくりしました。

 

 「ゆばは毎回毎回違って、ひとつとして同じものは作れん。」と言っていたおばあちゃんの言葉が印象的でした。

 

 

 

(3)入山豆腐店




 

 ここの名物と言えば「焼き豆腐」。炭火で焼いてくれる姿が実に絵になる!焼けるのを待つこの間が、実にこのお豆腐の美味しさを倍増してくれるのです。昔はおばあちゃんがのんびりお話ししながら焼いてくれていたものですが、お体を壊されたとのこと。現在は、息子さんがおばあちゃんのお株をうばって、楽しくお客さんとお話ししながら焼いてくれます。





 

 丁度いい塩梅(あんばい)に焦げ目がついたら、「田楽味噌」を買って、狭いながら歴史を感じさせるお店の中で食べられます。ちょっと大きいので、「食べきれないかな?」と一瞬思いましたが、食べ始めるとするすると箸が進んで、あっという間に完食でした。




 

 揚げたての「油揚げ」も買いたかったのですが、今はお昼から作り始めるとのこと。それで「豆乳」と「おぼろ豆腐」を買ってお土産にしました。

 

 

 

(4)マドラグ

 

 喫茶店なのに予約してから行かないといけないなんて、知らなかったー!

 





 最近は京都の厚焼き玉子サンドが有名になりましたが、その超有名店。東京の神楽坂にもお店があるのは知っていたのですが、敢えて京都のお店に今回初めて行きました。

 

 行ってみると開店直前に長蛇の列。最後尾に並ぶと間もなく順に席に通されたのですが、私だけ「予約のない方は、午後のご案内になります。」と爽(さわ)やかに言われてしまいました。

 

 「そんなの聞いてないよ~!」

 

 仕方なく店の写真を撮ったりしていたら、「テイクアウトのキャンセルが出たので、テイクアウトなら今すぐお出しできますけど・・・。」一も二もなく「買ったーっ!」と快哉(かいさい)を叫びました。







 

 てなわけで、ホテルに持ち込んで食べました。まず驚かされたのが、箱の大きさです。ここに1人前のタマゴサンドが入っているとは思えない大きさです。空けてみると、厚焼き玉子をパンに挟んだサンドイッチが4切れ。この卵焼きが分厚いこと、分厚いこと。甘くなく、出汁(だし)がほどよく利いて、食べてみると意外にも、よくあるタマゴサンドに近い味でした。でも、パンの片面に塗ってあるドミグラスソースの味がアクセントになっていて、崩さないように悪戦苦闘しながらも、結構ペロリと食べちゃったかも。

 




 

 マドラグの近くに「御金神社」という人気スポットも一応ありますが、こちらはまあいいでしょう。

 


 

 

 京都迎賓館のお仕事については書けませんでしたが、今後何度も通うことになるかもしれません。

 

 建物の床も壁も、もちろん調度品も国宝級という、芸術品で作られた建物です。差し支えないように、一般公開されている場所の写真のみ掲載しておきます。

 

 

 







2018年09月19日(水)

これは月旅行じゃなくて月投資でしょ? ~スペースX初の月旅行に前澤氏~

テーマ:時事評論
 


 

 すでに広く報道されているように、つい先日まで伏せられていた、スペースX社の民間人初の月旅行の搭乗客、「どうやら日本人であるらしい」という噂の張本人は、スタートトゥデイ社の前澤社長ということが判明しました。株式市場では超有名人ですが、一般の方々にはファッション・サイト「ZOZOタウン」の運営会社の社長と言った方が分かりやすいのかもしれません。イーロン・マスクCEOと共に記者会見する映像が、同社のホームページに掲載されています。



 

 インタビューを通じては、両者とも搭乗料金について公表することを控えたようですが、マスクCEOは、それなりに巨額の料金であること、この資金を元にBFRの開発が加速することをほのめかしています。日本では、「月旅行に巨費を払った」に報じられている今回のニュースは、むしろ「月旅行を開発するための投資」という意味合いが強かったのではないでしょうか。実際、インタビューに答える前澤氏のコメントからも、彼が、BFRの開発段階から月旅行の実現に貢献する意思があることがうかがえます。



 

 それにしても前澤氏は、日本でこそ知名度があるものの、失礼ながら海外では殆ど無名の存在でしょう。しかし、民間人月旅行に一番乗りを表明したことで、彼自身の知名度は確実に上がるはずです。アーティストを招待し同行してもらうという企画も好感を持てる内容だったので、彼のファンは世界中に広まるでしょう。そして、彼自身の知名度はもとより、ZOZOタウンの認知も確実に上がるはずですから、額は不明ながら巨額の資金提供をしたとしても、遠からず元を取れるという勝算も働いたはずです。この辺りが、優れた経営者同士というか、次代を切り開くビジョナリーとしての盟友同士というか、絶妙な掛け合いになっているところに感銘さえ覚えます。



 

 さて、今回の月旅行計画が、マスクCEOが目標としている火星移住の前段開発になっていることは、皆様ご承知の通りです。その月旅行にしても、まずは月周回旅行を実現した後に、月面着陸旅行を経て、火星移住へと段階を積みあげて実現していく計画のようです。実際、「月周回の実現」と「月面着陸の実現」の間には、雲泥の差もある技術力が求められるという話を聞いたことがあります。まずは技術的にも実現可能性の高い月周回旅行で、前澤氏のようなビジョナリーと組んで実績をつくるというのは、いかにもマスクCEOらしい、夢と現実性を折り合わせた目標設定だと感じました。



 

 ただし実際の技術開発は容易ではないはずで、海外のメディアには、辛口の見解を表明している記事が少なくありません。技術的な難易度はもとより、マスクCEOが、まず世間を驚かせる花火を打ち上げて、その後、実現までに何度も計画や目標時期を変更したりした歴史を披露してある記事も多く見受けました。実際、今回の発表でも、マスクCEOは、実現の時期や技術的なブレークスルー等について、「不確実」という言葉を連発しています。最近は、特にテスラモーター社の経営が必ずしもうまく行っていなかったり、このことを巡ってマスクCEOが株主軽視ともとられかねない言動を発したりして、彼の経営力を疑問視する意見も増えて来ています。



 

 しかしながら、夥しい数の経営者の方々と親交して来た経験から言うと、非凡なビジョナリーには、得てしてそうした欠点があるものだと感じています。実現不可能とも思えるような花火を上げて世間の耳目を集め、柔軟に計画を修正しながら、当初計画から大きく遅れながらも成果を上げてしまう。欠点も含めて、これがビジョナリーの果たすべき役割なのではないかと肯定しています。

 


 それにしても私の本音は、せっかく日本の株式市場を中心に財を築いた人物だから、できれば日本の宇宙ベンチャーにその資金を還元して欲しかった。日本にもマスク氏やベゾス氏同様に、宇宙ビジネスに投資する潜在エンジェルは多数いるはずです。これらの方々が、快く投資していただければ、日本の宇宙ベンチャーの発展に一気に弾みがつくはずです。反省も籠めて、今後歯車がかみ合ってくることに期待したいと思います。

 

 国際宇宙ステーションの後継企画として、月周回軌道上のステーション「ゲートウェイ」が検討されるなど、今後、月や火星など深宇宙の開発は確実に進むと思われます。マスクCEOの上げた花火によって、月旅行の一般化という未来の夢が大きく実現に引き寄せられる日が来ることを、皆さんと共に期待を持って見守りたいと思います。

 
2018年08月15日(水)

~73年目の終戦の日に考える~ 死因別戦死者数に見るアジア・太平洋戦争の衝撃

テーマ:時事評論
 


 今日は、73年目の終戦の日。先頃読んだ新書の中に、興味深い本がありました。




 

 吉田裕著「日本軍兵士-アジア・太平洋戦争の現実」(中公新書)。このなかに、先の戦争で戦死した人々の総数310万人を死因別に分析した章があります。



 

 まず、310万人の戦死者のうち、兵士・軍属など直接戦争に関わる立場にいた軍人は、230万人、民間人が80万人と分析されています。

 

 その上で、1944年以降、1945815日の終戦までの戦死者を、281万人と推定しています。つまり、全戦死者310万人の90.6%もの犠牲者が、敗色が決定的になった1944年以降に戦死しているというのです。これは驚きの数字でした。



 

 驚きの数値はまだ続きます。軍人戦死者230万人のうち、戦闘による戦死者はむしろ少数であり、広義の餓死者が60%以上を占めるという研究報告があるのだそうです。もっとも、戦死者の統計には、瑕疵があったり、そもそも公表されていなかったりということで、推計を重ねなければならない制約が多いようで、著者の吉田氏自身、餓死者の数を37%と見積もる別の研究者の成果も掲載しています。



 

 ただし、例え37%が正しいとしても、現代の私たちの理解とはかけ離れていると言えるでしょう。通常、私たち日本国民は、軍人の多くは「戦闘によって戦死したもの」と理解しています。それを常識とさえ思っています。しかし残念ながら、「戦闘による戦死者がむしろ少数」というのがどうやら真実の姿のようです。



 

 餓死者が夥(おびただ)しい数に上っている背景には、日本軍の兵站(補給)に対する軽視があります。ガダルカナル島、インパール作戦、レイテ島、個々の戦場の事例を挙げるまでもなく、大本営が無謀な精神論を振りかざして、前線に対する武器・食料等の補給を極めて軽視していることは周知の事実です。しかし、あらためてこの6割という数字を突きつけられると、悍(おぞ)ましくて、震えすら感じます。



 

 このほかに、本書のなかで推計されている、死因別の戦死者数をご紹介すると、例えば次のようになります。

 

・軍人の戦死者のうち海没死者は、35.8万人(15.6%)。海没死とは、艦船の沈没によって溺(おぼ)れ死んだ戦死のこと。米国海軍の魚雷性能の向上や、日本軍が打電した暗号を解読されたことによる米軍の待ち伏せ攻撃などの影響で、海没死者が増えたとされる。



 

・特攻攻撃による特攻死者は、3,848人。(上記同様パーセンテージにすると、0.2%という計算になりますが、あらためてこれだけの数の若き兵士たちが散っていったことに衝撃を覚えます。これだけの犠牲をはらって、撃沈に成功した敵戦艦は、わずかに47隻だそうです。)



 

 推計が難しいためでしょう、数値こそ明示されていませんが、「自殺」と「殺人」についても触れられています。



 

 「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかし)めを受けず。」という言葉があります。「生きて敵の捕虜となることは、たいへんな恥辱であるので、捕虜になるくらいなら自殺せよ。」という意味です。勇猛潔白であるし、ある種の美学さえ感じる訓戒ですが、実際には、この言葉を大儀として、自殺と殺人が行われていたことが記されています。



 

 すなわち、南方の前線には、飢えに加えて、マラリアやアメーバ赤痢などの悪疫(あくえき)が蔓延していました。そんな中で敵からの攻撃を受ければ、退却したくても身動きの取れない兵士が続出します。そんな兵士たちに、まずは自決を促して手榴弾などを渡し、それでも自決できないない場合は、「処置」と称して、退却時に軍医などが傷病兵を殺害するというものです。



 

 極度の精神的緊張を強いられる前線では、階級の上の者が、憂さ晴らしに下の者を殴打、罵倒、人格否定することが日常茶飯事だったと言われ、むしろそうすることが兵士の精神力鍛錬に必要だと称揚されることすらあったということです。やられる方はたまったものではありません。ただでさえ戦場という不条理のただ中に放り出された上に、味方であるべき仲間からこうした仕打ちを受けるに到っては、「もはや生きる甲斐もない。」と考えるのは、むしろ当たり前のことでしょう。数値は推計しにくいものの、「日本兵の自殺率は世界で最も高かったようである」との述懐が本文中にも載せてありますが、大いに首肯(しゅこう)してしまうのは、私ばかりではないでしょう。



 

 このように死因という観点から先の大戦を分析していくと、意外なほど鮮(あざ)やかに真実の姿が浮かび上がって見えました。その実像は決して見たくもない、日本人の最もいやらしい国民性を含んででいるように思えてなりません。



 

 今、「国民性」という言葉を使いましたが、例えば今日でも頻発している「パワハラ」の問題一つ取り上げてみても、その本質は、ガダルカナル島の下級兵いじめと何ら変わっていないとしか思えません。



 

 戦後73年経過したとは言え、私たちは本当の意味で、先の大戦から教訓を受け継いでいると言えるのでしょうか?

 
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