福島県のいまを知る主婦モニターの福島ツアー

次のの訪問地は


福島・浪江町



東日本大震災で揺れや津波による被害を受けただけでなく、

福島第一原子力発電所事故の影響を受けて、

帰宅困難地域になってしまった町です。



浪江町役場


浪江町には思い入れがあるんです。

職場の先輩が退職後、第二の人生の場所として選んだのが浪江町。

震災の少し前、先輩のお宅に遊びに行ったこともありましたが

空気の美味しさをしみじみと感じたいい街でした。


私が訪れたときは、田んぼや畑がいっぱいだった浪江町は



寂しい風景となっていました。


21,000人いた浪江町の人口が震災後200人になって

今はたった1300人。


町の人口がたった6%になった。


寂しすぎる・・・・。



ここには人が住んでいたのに。



津波の被害を受けた 請戸小学校

 

この学校、震災遺構になるそうです。

この学校の時計は、津波が来た時間で止まっている


3時38分・・・。


卒業式の準備をしていた学校の1j階は

津波ですべて流されました。


でも、奇跡的に全員が高台に避難して全員が生還できました。

道路は避難する車で混雑していたので

子どもたちは田んぼのあぜ道を走って逃げたそうです。


雪の降る寒い日に上履きのまま、着の身着のままで。


その避難経路の道路では、高台に上がり切れなかった車が

津波に巻き込まれていったそうです。

子どもたちはそれを見ていたのかなと思うと涙が止まらない。



子どもたちが逃げ込んだ高台に出来た


大平山霊園


町の方々の希望で霊園となっています。



慰霊碑には津波の被害を受けた182名の名前が刻まれています。


浪江町に住んでいた方。

あの日たまたまこの町を訪れていた方。

警察の方など殉職した方。



田んぼも畑も、みんなの住んでいた家もなくなって

セイタカアワダチソウの黄色い花だけが元気に育っている。



浪江町唯一の漁港・請戸漁港も復興の真っ最中。



津波だけでなく、風評被害にも苦しむこの漁港に

魚の仕分けや競りなどができる水産業共同利用施設が完成したばかり。


この復興を私は福島の魚を食べて応援したい。


少しずつ、福島の復興は進んでいる。

でもどれだけ多くの人の心に大きな傷が出来たのだろう。

被災地という言葉の重みを感じる浪江町です。



水芭蕉米 新米「むすび(おぼろづき)」5㎏ 20名様