「応援もしてはいけない」成田悠輔が悩める親たちに、そして日本社会に驚きの提言【中田敦彦】 (youtube.com)
成田悠輔さん
メディアに発言を切り取られて炎上してしまったけれど
以前からこの方の話は聞きやすいなと思っています
今回のお話
「親の放置力」が必要と言う部分
本当に私に必要なところ
応援だけしていればいいという理想論的な子育ては耳にタコだけれど「応援も必要ない」という部分
「頑張って次はきっと良い結果が出るよ」とか「努力すれば〇〇になれるよ」「すごい!こんなに早く出来たのなら次はもっと出来るね!」というような声掛けは呪いになると
なんだかストンときてしまった
きっと今以上に良くなるとか何かが報われるとか言われると
小さい頃からとても嫌な私
「もしそうならなかったらその傷を修復するのは自分しかいないのに、、」という気持ちがあった
そう、この励ましの言葉はそれを発する人の利害関係に自分を取り込もうとしているというのは凄く理解出来る
捻くれているのかもしれない
でも、私はどこかが捻くれた人が好きだ
もちろんその結果の責任を自分で負うという当たり前のことが出来る人という前提ではあるけれど
ある価値観に固執し過ぎずに自由に人生を生きるということは
なかなか出来ることではない
ある価値観に固執しないとお金を稼げなかったり家族という単位で生活することが非常に難しくなるからだ
孤立し過ぎず調和し過ぎず
これが私の理想だけれど難しい
自分はどんどん変わっていく
自分が好きな自分と他人が好きな自分
そこに解離は当然あるけれど私の人生は断然前者を優先している
だから調和より孤立よりの人生となっている
そんな自分が家族を持ったわけだから家族という単位で丁度よくまとまることは出来ないかもしれない
でも、子どもが段々と大きくなってきて思うのは、無責任かもしれないけれどこの世に3人産み出して方向性がなんとなくついてきた
それだけでも自分なんかがよくやったよなぁということ
一番下は中学生だからまだまだどうなるか人格形成の途上かもしれないけれど、それでも段々と自分自身の責任という部分が多くなってきたかなぁというところ
私は家族を持たなかった方がもしかしたら良かったのかもしれない
それでも、自分の人生はそうはならなかったわけで
その時その時はそれが正しいと思って必死にやってきた
何十年も連れ添った夫婦が夫婦げんかでゴルフバットで夫を殴り殺してしまったり
浮気ばかりしてきた配偶者が遊びを止めた晩年から夫婦仲が良くなったり
そういう極例はあるけれど大体は過ごして来た積み重ねで
結果は決まってくる
そこも大体で絶対じゃないことが面白いのかな
無責任に自由に自己を最優先して生きてきた人が晩年幸せになったり
献身的に生きてきた人が裏切られて人生を狂わされたりもする
でも、まぁ、大体は、、って大切ですよね
例外を気にしていたら切りがないし
こうやって話は逸れてしまうけれど、、
配偶者でも子供でも職場での人間関係でも利害関係なく見守るって私にはなかなか出来ないなと悟ってきた(職場はもちろん利害関係アリアリとは思いますが、、)
理想の育児は頭では分かるけれどやっぱり子供には親が願ったように生きて欲しいと思ってしまう
周囲に尊敬されるような仕事をして、その中でも人望を得て欲しいし、親へも含めて優しい配偶者と結婚して素直で可愛い孫と会いたい
こんなエゴだらけの考え方で応援なんてされても確かに成田悠輔が言う呪いだろうなと分かる
だからか、私は子供が小さいころから子供を褒めなかったのかもしれない
それは自分にとって都合が良い子供であれば褒めるというだけのことだから
それなのに、自分が疲れている時にいつまでも騒いだりやるべき勉強をしなかったら叱ってきた
うちは夫が一切子供を怒らない人なので、私が注意しなければと
思い過ぎてしまったのもあって、逐一細かく注意してきた
息子が中学生の時だったかな
「ママ、世の中の人はね、自分の思い通りにならないことを諦めて妥協して生きているんだよ。その方が結果として上手くいき周囲が幸せになることもあるからだよ、きっと。人を自分の思うように動かそうと思ったらママの周りは敵だらけになるよ。もっと諦めるんだよ。」と言った
何度もその言葉を思い出す
子供が小さい頃から見透かされていた私
でも、子どもが幸せになって欲しいとは綺麗ごとではなく
ずーっと思ってる
言葉ではなかなか褒められないんだけれど
自分なんかからは上等な子供たちが生まれてくれたと思ってるし
昼休みに子どもたちの写真を見ては楽しいことを思いだす
でも、どうしても素直に褒められない
褒めるって言葉にすると凄く嘘くさくて
良い母親ぶってる感じでぞわっとしてしまう
よく小言を言ってるうるさい母親って方が自分に合ってる
気がして
だから、上手に穏やかに子育て出来なかったのだけれど
子供の代わりにいつでも死ねるとかそういうのはずっと思ってる
子供たちには伝わらずに、うるさくて邪魔な母親だとよく言われるし自分は放任な親で育ったから、こんな母親嫌だとも思う
最近は自立したら「うわー!こんなに人生自由なんだ!何をやってもいいんだ!」という喜びが他人より大きいから楽しみにしてなねと子供たちに言う
長くなってしまったけれど
「自分への利害関係なく黙って見守る」ということは
本当の親子であっても難しく親子って綺麗ごとではないなと感じた
大したことない自分の経験で子供を縛ることは良くないとは
頭では分かるけれど経験て厄介ですよね
失敗すると分かっていることを黙ってることが出来なかったりする
失敗かどうかは当の本人が決めるという当たり前の事実が自分の小さい経験に隠れてしまう
成田悠輔さんのお話はいつも分かりやすくてストンときてしまうから見てしまいます
↓ この有働さんとの対談も自然体で聡明なお二人のトーン心地良いです
人から褒められたり尊敬されたりはあまり興味がなく
自分がやってみたいことをやっていられることが幸せ
という言葉
本当に聡明で自分軸で生きている人だから言えることですね!
素晴らしい!
やはり能力があって好奇心が強いと一つのことに飽きても
次々とやりたいことが現れてまたそれが実現出来てしまうというところが好循環ですよね
それとは逆に能力がなく好奇心もないと何事も楽しめず
世の中に対する愚痴ばっかりのつまらん人生になるんだろうなと
思えます
両極端ではなくても自分の意識でどっち寄りになるかは決まると思う
自分を客観的に見ながらも自分軸で生きようと努めることは続けようと改めて
成田悠輔 × 有働由美子 ガチのプライベート暴き合戦!化学反応おきまくりの本音トーク『夜明け前のPLAYERS』 (youtube.com)