ミャンマー 日本人拘束 私に出来ること | 時には熱く時には寂しくいつも真っ直ぐに٩(ˊᗜˋ*)و

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小学校5年で尾崎を同志にしてから、何とか生きてます!

早稲田大学政治経済学部出身。
長男、国公立大学医学部合格!

人は皆、傷いてきたし言えない過去もある。そんな人たちで楽しく集まれたらいいな♪

日本人が拘束されるといつも「自己責任論」がつきまといますキョロキョロ

今までにジャーナリストや観光客など幾人もが拘束され命を落とした人もいますアセアセ
 
多くは渡航が制限されている地域に敢えて入っている訳ですから、
もしや拘束されてしまうかもという危険は理解しているでしょう。
そこからの「リスク承知で行ったのなら助けなど求めるな」という自己責任論ですメラメラ
 
でも、少なくともジャーナリストに関しては危険な地域のリアルを私たちが知るために必要という見方も出来るでしょうし、逆に日本が大変な時に足を引っ張るぐらいならそんな情報はいらないという意見もあると思います爆弾
 
「自己責任」て難しいですねショック

 
意見の分かれ目には拘束された人の国民への姿勢や報道の仕方もありますね。
 
「本当に日本の皆様にご迷惑をおかけしてしまいすみません。もう二度と危険なことは致しません。」と謝罪する人と
「同じ日本人として助けて当然だろう!」という人とでは
世論の風当たりも当然違ってきますあせる
 
でもショボーン言葉だけなら何とでも言えますし何なら弁護士の助言もあるでしょう。
 
日本人拘束というフレーズが出る度に重苦しい気持ちに襲われますチーン
助ける=テロに加担するという構図は確かにあるからですドンッ
 
助けるという響きには正義があるように思えますが、助けるために
テロリストの要求を飲むことは新たなテロリストを産むことになりますプンプン
 
自己責任論に関しては両者の意見にそれぞれ納得出来る点があり
簡単に答えは出ませんが、絶対的に悪いのはテロリストであることを忘れてはいけませんねおーっ!
 
せめて私に出来ることは子供に対して、自分の要求を通すために暴言暴力で相手をねじ伏せたり、賄賂などで一時的に自らに加担させる無意味さを話すことです真顔
 
理想論だとしても強制ではなく「相手に理解してもらう」ことの大切さを伝えたいですねキラキラ
 
 

 

生まれた所や皮膚や目の色で
いったいこの僕の何がわかるというのだろう
運転手さんそのバスに
僕も乗っけてくれないか
行き先ならどこでもいい
こんなはずじゃなかっただろ?
歴史が僕を問いつめる
まぶしいほど青い空の真下で