日本人が拘束されるといつも「自己責任論」がつきまといます
今までにジャーナリストや観光客など幾人もが拘束され命を落とした人もいます
多くは渡航が制限されている地域に敢えて入っている訳ですから、
もしや拘束されてしまうかもという危険は理解しているでしょう。
そこからの「リスク承知で行ったのなら助けなど求めるな」という自己責任論です
でも、少なくともジャーナリストに関しては危険な地域のリアルを私たちが知るために必要という見方も出来るでしょうし、逆に日本が大変な時に足を引っ張るぐらいならそんな情報はいらないという意見もあると思います
「自己責任」て難しいですね
意見の分かれ目には拘束された人の国民への姿勢や報道の仕方もありますね。
「本当に日本の皆様にご迷惑をおかけしてしまいすみません。もう二度と危険なことは致しません。」と謝罪する人と
「同じ日本人として助けて当然だろう!」という人とでは
世論の風当たりも当然違ってきます
でも言葉だけなら何とでも言えますし何なら弁護士の助言もあるでしょう。
日本人拘束というフレーズが出る度に重苦しい気持ちに襲われます
助ける=テロに加担するという構図は確かにあるからです
助けるという響きには正義があるように思えますが、助けるために
テロリストの要求を飲むことは新たなテロリストを産むことになります
自己責任論に関しては両者の意見にそれぞれ納得出来る点があり
簡単に答えは出ませんが、絶対的に悪いのはテロリストであることを忘れてはいけませんね
せめて私に出来ることは子供に対して、自分の要求を通すために暴言暴力で相手をねじ伏せたり、賄賂などで一時的に自らに加担させる無意味さを話すことです
理想論だとしても強制ではなく「相手に理解してもらう」ことの大切さを伝えたいですね
生まれた所や皮膚や目の色で
いったいこの僕の何がわかるというのだろう
運転手さんそのバスに
僕も乗っけてくれないか
行き先ならどこでもいい
こんなはずじゃなかっただろ?
歴史が僕を問いつめる
まぶしいほど青い空の真下で