こんにちは。

 

ちょっと怖いタイトルですいません。

 

少し前に、尊敬しているTTさんとお久しぶりに話す機会があり、その時にふと。

 

「呪いってあるんだよな」

とTTさんがおっしゃった言葉を思い返す瞬間があります。

その、「呪い」というのは。

 

間接的や直接的などでの誹謗中傷や、本人への悪意や嫉妬や敵意や快楽的発散と自己満足、著名人や個人や団体を攻撃する事での自己肯定。自分が何者かになったような、何者かになりたいという欲求解消・・・etc。

 

言葉に出したら恐ろしい言葉。

 

敵意がある言葉は、相手の心を打ちのめします。相手の心は見えていないだけで、深く傷ついています。

直接言われたときだって、ニコニコ笑って返す裏で、いっつもその敵意に心や思考を奪われ負を抱えてしまいます。

 

深イイ話に出演させていただいたとき、最後に私は言いました。

「大っ嫌いを作ることを恐れない、無関心が一番よくないこと、大っ嫌いが生まれるから大好きが生まれる」と言いました。が、それはあくまで仕事に対しての話しであって、プライベートまで大っ嫌いを向けられてもそれは受け止められません。

でも、敵意を向けられたことに対して「テレビで言ってたじゃん、大っ嫌いを作るんでしょ?無関心が一番嫌なことなのでしょ?」と言われましても、それは絵の仕事での大切にしていることで、プライベートな、ただの小松であるときに向けられたら、それは防御力なしでサンドバックになるようなものなのです。

 

もちろん、仕事で向けられる敵意を全て受け止め肯定して生きていくほど私は強くないです、じゃあなんでそんなことを言ったのか?大っ嫌いを認めて生きていくことが大切なことだからです。それもまた人間の感情を動かした結果だからです。

なので、私は極力思いつめないように SNSはSNS担当者に全て任せ、日々制作に専念しています。基本、送られてきたメッセージは全て会社が目を通しています。なので、私に向けた個人的なメッセージをSNSに送ってくださる方がおられますが、私が目を通してないと思ってくださると嬉しいです。

 

本名での(会社公認)SNS・HPなど、基本、私は記事を投稿や管理をしていないです。代わりにSNSを身近な人に任せることで、私自身がSNSに心を支配されないようにしています。

 

あなたの見ているそのサイト、本当のことを切り取って書いた記事なのでしょうか?

人の悪意だけを煽ったサイトばかり見ていることはありませんか?

 

人が発した悪意や敵意は、相手に「呪い」のように付きまといます。

その「呪い」は、生きることへの活力を失わせます。

 

正義で言った言葉でも、その自分の正義が相手に当てはまるまでしっかりと伝えなくては、その人の心を傷つけるだけなのかもしれないですね。もちろん、きちんとした関係性があるのであれば、その言葉は叱咤激励となるでしょう。

 

人一人の力は偉大です、あなたも私もちっぽけじゃない。それは、地位も名誉も貧富の差も関係ないのです。

 

そんな力をプラスではなく、負で満たしてしまうなら、それは悲しいことです。

知らない間に「悪魔的な呪術師」にならないで下さい。

 

悪意の発散で欲望を満たす快楽を覚えてしまうと、そこから戻るのは大変なことです。

光を見てください。

純粋であること、無邪気であること、嫉妬を持たないこと、他者のことばかり気にする事から解放されること、自分を縛り付ける呪縛からあなた自身を解き放ってください。

 

悪で苦しみから解放されることはないのですから。

 

どうか、自分がどれだけ大きい存在か知ってください。