しとしとと雨粒が葉を伝う早朝、私は高野山・三宝院の本殿に入り、薄暗く光る空間の中でそっと正座をしていました。合掌をし、改めて辺りを見渡すと、少し遠慮気味に本殿の枠の外に置かれた大きな薄黒い巨石に目を奪われました。

 

なぜこんなところに石が?と思いつつ、はじまったお経に集中していました。すると、石だったはずの物がだんだんとムジナの姿に変わっていったんです。

 

ムジナの姿はこうでした。頭を慎ましやかに下げ、手を合わせ、お経に耳を傾け、人の真似をするように座禅をし、石のように固まっていました。

 

なぜそうしているのかと私が問うと、ムジナは

 

私はムジナですから、こうして朝お経を端の方で聞くことしかできません。

人は自由に本殿に入ることもできるし、学べるし、お経を読むことができる。

しかし、わたしはその全てが叶いません。

わたしはどうあがいてもムジナなのです。

 

どうか許されるのであれば、ここで手を合わせ、お経を聞いていたいのです。

 

と答えてくれたのです。

 

石のように固まり、ただ謙虚にお経を聞くムジナの姿に、私は感銘を受けました。

 

きっと、ムジナはこれからも本殿の中へと入ることは叶わないけれども、満足なのだろうと思ったのです。

それはそれは幸せそうにお経に心を傾ける姿がそこにあったからです。