ちゃんと生きて
ちゃんと死ぬ権利

日野原先生がお亡くなりになりましたね
介護日記の方にあげたんだけど
どうしてもここにも書きたかったので。
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お昼過ぎ頃の病院の会見で

「胃ろうははっきりと拒否をされました」

というのを聞いた時、
自分たちの選択は間違っていない!
そう確信しました。

ひまちゃんは、6月14日頃から
ほとんど口から食べることができなくなりました。

一年半前からはグループホームに入ってもらって
週末はそこに遊びに行ったり、
お正月は家でみんなで過ごしたり。

4月には一泊で一緒に広島旅行に行ったり。
その時はお肉も食べたりしてたのね!
(お酒も飲んでた(笑)

来年の4月からはみんなで移住してこよう!

そう話していた矢先の入院。
6月16日、パパの誕生日の前日だった。

14日から食べるのも飲むのもできなくなり
施設の方が往診の先生を呼んでくださって
緊急入院となりました。

わたしは仕事ですぐには行けず
翌朝1番に病室に行って・・・

もう、今にも死んでしまうのではないか・・・

そのくらい様子がおかしくて、
いつもなら話さなくても目線をくれるのに
まず、目線が合わないの。

すぐさま両親を連れに戻って
(ていうか来ないのもどうかと思うけど)
現状を直接見てもらったの。

うちのパパはひとりっ子で
ママはやっぱりお嫁さんだし
ひまちゃんのお世話や通院の補助は
もう10年以上前からほとんどわたしがしてた。

入院して点滴をしていても
やっぱり口からは飲むことすらできなくて・・・

それでもわたし達家族は
「胃ろうはやらない」
「ポートも作らない」
鎖骨のあたりに高カロリー点滴をするための入り口(ポート)を作ることでいくらか延命になる
そう決めていました。

主治医の先生との面談の時は
先生が不安そうなので母にもきてもらい
胃ろうは作りません。
ポートも作りません。
延命治療は一切しなくて大丈夫です。
そうお伝えしました。
先生にはわたしがお伝えしていたけど
父の意向を、母が改めて伝えたことに
大変驚かれていました。

口から食べられなくなったら
生き物として自然と弱っていくもの

それがわたし達家族の考えでした。
もちろん、治療はしないので病院にはいられないし
元いた施設も、看取りの付いていないとこなので
食べられないと戻れません。

だから、わたしが1人で家で見る
(行政やお友達、うちの彼にものすごく助けられています)
という結論に至ったんです。
もちろん家族としては

最後は自宅で迎えさせてあげたい。

そう思っていたので。
時期が早まったので息子と両親は
すぐには来られないけれど
(会社と学校があるからね)
わたしは、来たる介護のためもあって
勤めを辞めていたので、
すぐさま今後の予定をキャンセルさせてもらいました

本当に、周りの人の理解と協力があって
無事に7月6日にひまちゃんとわたしは
ひまちゃんの自宅に帰ってきました。

入院中、何度かケースワーカーさんがいらして
その度に胃ろうを勧めてくださっていて
(1秒でも長く生きて欲しい、そう思うのはみんな一緒です)

日によってはひまちゃんは会話ができるので、
タイミングを見計らって本人にも聞きました。

「あのね、口から食べられないのなら
ここに穴を開けて、直接胃に栄養を入れる、
胃ろうをしますか?って先生が聞いてるよ。
胃ろう、する?」

胸のあたりを指差して聞いたけど
その問いに答えはありませんでした。

でも、しっかりと目を開けていたので
しばらく返事を待ってから

「胃ろうは、やらない?」

そう聞いたら、
本人ははっきりと頷きました。

元々看護師だったひまちゃんなので
胃ろうの説明なんてしなくてもわかってて。

本人の意思確認ができたことで
病院の方もようやく納得してくれて
退院後に、自宅でできる事について
色々教えていただく事になりました。

食べることは、生きること

わたし達の体は、食べたものでできていて
その食べ物を食べられなくなったら
自然と弱っていくもの。
わたしはそう思います。

もちろん、誤嚥性肺炎など
治療で治るものに関しては
入院して治療してもらう。
という話はしています。

だけど、
鼻から管を入れたり
体に穴を開けてまで
ムリヤリ栄養を摂る
それは、あまりにも
生き物として不自然なカタチである
わたしはそう思います。
もちろん、本人が望むのなら
それも仕方ないのかなとは思いましたけど

この地球上に生を受けた時から、
いつか死ぬ
それだけは絶対に変えられない
生きるものの定めだと思います。

みんなに生きる権利があるように
みんなに死ぬ権利もあると思います。

もうすぐ88歳という高齢で、
これが治療だから!と
やみくもに延命治療をして
最終的に癌が再発して
モルヒネも効かないような痛みと戦って死ぬ

そうなるよりは、
延命治療するよりは早く死ぬけれど
人間として、生き物として
自然なカタチで、
自分の1番過ごしたいところで
望んだ最後を迎えられる。

それが一番いいのではないかな

と、わたしは思います。
もちろん、色んな意見はあるでしょうし
仕事もあるから自宅で24時間なんて
とてもじゃないけど介護できない!
そういう方もいると思います。

それぞれの家族のカタチがあっていい。

でも、胃ろうなどの延命治療は
生き物として不自然ではないだろうか?

わたしは、そう思います。