おはようございます❤️
【母の呪いから解放され、すあしでハッピーな人生を送るアドバイザー】
「ハッピー思考家」ミキティです❤️
知り合いに、女ターザンの称号をもらいました(笑)
そんなわたしの基礎を作ってくれたのは、小学生時代。
小学生時代は、わたしの明るい面と暗い面、両方が形成された時期です。
入学したのは、シンガポール日本人小学校。
入学直前に、ローラースケートで転倒し骨折。
入学式直前にようやく引っ越すというなんともバタバタした海外生活のスタートでした。
1年生は9クラス、全体の生徒数は2000人にも及ぶ巨大な学校でわたしはのびのび育ちました。
校内放送で、
「花壇にコブラが出たから教室に避難してください。」
とか
朝登校すると、ダックが2メートルくらいあるニシキヘビに丸呑みされていて、動物園職員が引き取りに来たりとか
側溝に溜まった水の中にいるヤゴやオタマジャクシを手掴みでとったりとか
ターザンごっこも雨の日の定番でした。
家に帰れば、マンション内の友達とすぐにプールに行って泳いだり
テニスコートでテニスしたり
インラインやら一輪車やらをして遊んだり…
木登りして、リスを捕獲しようとしたり…
完全に野生児ですね(笑)
建物が何棟もある大きなマンションだったので、門の中に入ってしまえば日本と同じ。
外国特有の危機感なんてなにもなくて、毎日みんな父親が帰ってきて夕飯だよと呼ばれるまで遊びまわっていました。
駐在妻がほとんどなので、母親たちもみんなのんびり。
うちの父が一番帰宅が早いので、一番最初に帰っていました。
なぜか食卓のテーブルの中に蟻が巣を作ってたり、毎日ヤモリと遊んだり、ドリアンが臭うからランドリーの外に吊るしたり…
なぜかシンガポールの間はいい思い出しかないです✨
プールサイドのバーガーショップで飲むスムージーや友達自転車で行った、マンション内のコンビニ的なお店。
門の中にいる間は、あまり母親たちも介入してこないので、お小遣いの分だけは好きに飲み食いしていました。
スコールが降ってもそのまま遊び
上がってからプールとか。
楽しい思い出ばかりだから、きっと帰りたいと思うんでしょうね。
暖かい気候がよかったのか
父の給料がよかったのか(笑)
家が広かったからか
この頃は、家族がみんなずっと笑っていました。
休みの度にいろんな国に旅行に行き
食べず嫌いでいろんな物を食べずにいて損したな(笑)
そんなのびのびとした自由な生活は、小学校前半で終わりを告げました。
三年生で日本に帰国することが決まりました。
まず、わたしを襲ったのは気温差。
後編に続く…
今日もみなさまの身の上に、雪崩の如くハッピーが降り注ぎますように❤️
↓昨日、曜日を勘違いしてました!明日開催です!!