先日、友人から

「駒井さんは一般的な定義のお母さんではない

 お母さんですね。

 でもそのあり方がとても駒井さんらしくていい。」

と言われました。



その友人と話していて気がついたことがありました。

私はお世話を甲斐甲斐しくすることが全くできない

母親で、それに対してコンプレックスを長い間

抱いていました。



それができない自分はダメだと思っていた理由に

娘から「よそのお母さんは子どものことをとても

気にかけて、あれやこれやと世話を焼いてくれる

のにお母さんはそれをしてくれない。」と

よく言われていたからです。



娘はそんなお母さんを求めていたんですよね。

でも、私はそれができない。

もっと言えばあまりやりたくない。

そんな気持ちがあったので自分は母親に向いていないなあと

思うことがよくありました。



まめに面倒を見る母親が良い母親で、それをやらない母親は

ダメな母親という価値観がありました。



母親だからこうでなければならないと言うことが

自分を責め苦しめていたのでした。

でも子どもの不登校をきっかけに、母親の前に私自身が

どうありたいかが大事だなと思うようになりました。



今回、友人が言ってくれたことであまり意識して

いなかった私の母親としてのあり方が明確になりました。



「世話をするのは好きではないし、興味がない。

でも、子どもを信じて見守り見放さない。」



改めて私はこれでいいんだなと思えました。



人は社会の価値観や時代の価値観に振り回される

ことがよくあります。

そのことによってそれが正しいと思い込んで

しまい自分を苦しめてしまう。



私という人間がたまたま母親という役割を

担った訳で、私がこうでなければならないという

母親像に無理して合わせていくことは

とても不自然なことなんですよね。



もともと、お世話好きの人がお母さんになったら

違和感がないのかもしれませんが、私のような人は

私と同じように苦しんでしまうんだろなと思います。



いろんなお母さん、お父さんのあり方があって

いい。



方法やアプローチの仕方が違うだけ。

子どもを大事に思う気持ちは一緒。



そんな風に思えるようになれば楽になりますよね。






こまい ゆきえ作

題名 「よしよしいい子ね」