みなさん、こんにちは
突然ですが、みなさんは「院内銀山」へ行った事がありますか?
院内銀山の発見は1596年とも、1606年とも言われています。
過去に3回の盛況な時代があり、鉱山の発見から閉山するまでの約350年続いた国内有数の銀山
でした。
鉱山の栄枯盛衰は激しく、開発初期の1614年(江戸時代前期)の上納銀が約988㎏に達したのに
対し、37年後にはわずか約28㎏にまで激減しました。
その後、1807年(江戸時代後期)頃から再び隆盛に向かったため、1817年に秋田藩の直営になり、
1830年~1843年に最盛期を迎え、藩の重要な財源となりました。最盛期には銀産出量日本一を誇り
ましたが、その後再び急激に衰退しました。
1875年(明治8年)に工部省の所管となり、ドイツ人鉱山技術者を招き、鉱山の近代化を図りました。
せつびがの拡充が進められ、1884年(明治18年)に古川市兵衛氏に払い下げられました。
鉱山量は増加し続け、1889~1905年(明治22~38年)には、銀の年間生産量が27.5tに
達しました。
しかし、1906年(明治39年)の坑内火災で抗夫102名が死亡するという決定的な打撃を受け、鉱産量が減少し、1908年(明治41年)には製錬を中止しました。1921年(大正10年)以後、院内銀山は
一時休山し、昭和9年に再坑しましたが、昭和29年に鉱況が悪化したため、全山閉山となりました。
(湯沢市ジオサイト案内書から抜粋しました)
9月21日は全国鉱山記念日となっています。
1881年(明治14年)9月21日の明治天皇東北御巡幸の際、院内銀山の五番坑に入坑されました。
随行した吉井工部大輔(よしいこうぶだゆう)によって「御幸坑(みゆきこう)」と命名され、この日を
鉱山記念日と定められました。
明治天皇の五番坑への入坑の様子を描いた壁画(模写)が院内銀山異人館に飾られています。
1906年(明治39年)銀山史上最大の火災事故があり、延焼を恐れ空気を遮断するために出口の扉を閉めました。
そのため、逃げ遅れた多数の坑夫が坑内で亡くなりました。
これをきっかけに大正末期、採掘中止になり坑道が閉鎖されました。
この9月21日には毎年、江戸時代から明治時代にかけて栄えた院内銀山を偲んで
旧院内銀山跡で「院内銀山まつり」が行われています。
「院内銀山まつり」のスケジュールは下記の様になっています。
《開催期日》
平成28年9月21日(水)
9:00 小野地区センター(旧小野小学校)出発
※ 一般参加者はここにお集まり下さい。
↓
9:50 行道開始
↓
10:00 供養祭(共葬墓地)
※ 供養祭終了後金山神社まで徒歩で移動
↓
10:40 例大祭(金山神社)
↓
11:20 みこし奉納(雄勝小学校院内地区児童による)、銀山おどり奉納 ・ その他
↓
12:00 直 会(金山神社にて)
↓
13:00 解 散
「院内銀山まつり」についてのお問合せは
院内銀山史跡保存顕彰会
TEL 0183-53-2742(江畑さん)
みなさん、中々院内銀山跡地へ行く機会がないと思いますが、この機会に院内銀山を訪れてみては
いかがでしょうか
せば雄勝S ・ Aでした~