赤い脂(やに)で泣く杉の木 | koma3232のブログ

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-赤い涙-

災害に
泣く杉の木は
赤い脂(やに)
(2013.04.05 熊本県五木村にて!)
*赤いやに


 

ここはいつ災害にあったのだろうか?
どうやら土砂が流出して川まで押し出されたみたいだ。
山腹には杉の人工林がある。
この人工林も被害を受けたみたいだ。
流木・倒木が目立つ。


*谷止で安心確保は難しいのか?


 

その中に1本,
倒れずに雄々しく健気に生きている杉の木があった。

 

*頑張って倒れるもんか


 

だが,
その杉の木は傷ついていた。
皮が大きく剥がれ肌が剥き出しだ。
肌からはまるで人の血のような脂が,
一筋,二筋,三筋と,
根元に向かって流れている。



 

ああ,杉の木よ!
君は痛いのか?
その痛さから,血の涙を流しているのか?

植物は動物と比べて,
原始的な生物だ。
だから当然,創造性は小さいだろう!
でも,
それでも自分の体調は判るはずだ!
だから今,脂の血を流しているのだろう。

おそらくこの木は,
命がもっても今年いっぱいか?
これから徐々に徐々に,
体力を奪われて行き,
栄養を体全体に運ぶことができなくなるだろう。

私は思う!
災害があると,
人は人の命とか,
生活場所のインフラを心配する。
まあ,それはそれで結構なことだ。

だが,それとともに,
その森林の環境状態をもっともっと,
診断する必要があるだろう。

その診断をしないから,
渓流安定とか!
山腹安定とか!
云っては,
すぐに人工構造物による施設に頼ってしまう。

例えば,
治山ダムとか!
法枠工とか!
そのようなものだ!

でも,
これらの構造物は人工構造物だ。
将来的(50~100年)には劣化していく施設だ!

施設を設けた場所に,
「生」があるのか!
それ以外の災害にあっても構造物のない箇所は自然荒れてはいるが自然だ。
埋土種子や小さな生物たちは全て「生」だ!

石礫や土砂の無機物だって無生物と云う生物だ。
だから時が経てば,
ゆっくりながらも自然復旧していく。

そこには、人の考えの及ばない自然回帰の法則があるのだろう。

だが,
私たちは災害が発生した時,
その場所を生きている場所としては対処しない。
災害も自然の動き働きのシステムの一つに違いない!
自然の動きと働きは生あるものにしか認められていない!
だとしたら本来は,
災害は,
自然のストレス解消のために発生するものだ!
自然のストレス解消が図られれば,
自然は自ずから安定する。

しかし人は災害後に,
自然のストレス解消が収まった場所で,
もう災害がほぼなくなった場所を,
人工構造物を設けて,
災害を予防したり復旧したりしようとする。
そこには当然,
私たちの税金が投入されていく。

私たちはひょっとしたら,
今後とも災害確立が低い場所に,
多額のお金をかけて人工構造物を造っていくだろう。

そこに自然の摂理や節度はお構いないの、人の傲慢さがある。

自然と人の関係は,
もちつもたれつつの関係がよいだろうに。

人は自然の克服を図ろうとする愚か者だ。

自然との共生関係と云う選択肢があるにはあるが、それは建前、建前であることが多い。

災害は,
いつでも発生する自然のストレス発散現象だ!
と,捉えれば,
自然と人社会生活の調和には,
ある程度の緊張感が求められる。

でも,
それが最も私たちと自然の関係が,
良好に維持できる関係ではないだろうか?

ああ、たった1本の杉の木から,
私が感じたものを,
ここに勢いに任せて書き込んでみた。

皆さんはどう思いますか?

スギの詳細
科名:スギ科
属名:スギ属
和名:杉
学名:Cryptomeria japonica
日本の特産で,各地で立派な自生が認められる。
日本全土に植林されているが,
手入れ不足からか?近年は花粉症で問題となっている。
スギは,針葉樹で常緑高木種であり,雌雄同株だ。
樹高は最大で45mにも達する。
日本では檜とともに最も多く植林されている。
建材,家具を主として,幅広い用途に用いられている。 
幹はほぼ直立で樹皮は茶褐色,縦にささくれだっている。
材は辺材と心材とに分かれ,
辺材は淡黄色~淡黄白色,心材は淡紅色~黒褐色だ。
葉は針形で小さい。
花は雄花が早春に枝端に群生する。
雌花は小枝の先端につき緑色球形だ。 
果実は秋に木質の球果になる。
種子には翼がある。
樹脂は幹からしみ出る。
人はこれを採取する。
生薬(しょうやく)名では杉脂(さんし)と云う。
秋の樹脂には,クリプトメリン酸などを含有している。
その効用は,皮膚や粘膜を保護して消炎作用があるそうだ。 
また,葉は精油を含有しており血液循環や疼痛などに有効である。
もちろん,
杉の樹脂は,
本人の体を治すためのものであることには,
間違いのないことである。