なんともまあ,三之宮比々多神社, 由緒ある神社だ(感激,感服だ!) | koma3232のブログ

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三之宮比々多神社(伊勢原市三之宮)

写1.本殿威容!


古の
祭祀遺跡(さいしいせき)か
メンヒール(立石(たていし))
(2013.9.13 神奈川県伊勢原市三之宮地内)
注:比々多神社の歴史は実に古い。遺跡遺物(いせきいぶつ)などから推測すると,ほぼ1万年以上遡ることができる(実に驚きだ)。特に発掘された環状配石(ストーンサークル)の立石は,縄文時代中期のものだ。立石は御神体として原初的な神社の信仰であり,古くからの聖地信仰の指標だったのだろう。)

比々多神社へは,
鶴巻温泉駅を下車し,
鶴巻温泉街を通り
東名高速道路を横断して,
県立自然公園を左に見て辿り着いた。
距離にして約3500mだ。
時間に束縛されることなく,
ゆらりブラリの散策だったが,
この日は何故か盛夏だ。
身体中から汗がほとばしる。

まずは遠くからの風景だ。
大木が天に聳えたっている。
ああ,何と大きいことか!
口から思わず大木に対する驚嘆の声だ!
周りを圧倒する神社の森!
(神社内に入るとそうでもないが,遠くからはそのように見える)
私の心はワクワク感で一杯になる。

写2.遠姿!

そして正面に立つ!
何と云う威厳だろうか!
鳥居が!
狛犬が!
本殿が!
私を圧倒する!
写3.鳥居!

写4.狛犬!

写5.本殿!


これこそ,縄文時代からの威厳か!
ただただ圧倒される私!

ああ,この地は古から,
人の時と場の流れを,
共に歩んできたのか!

そう思うと,
何とも云えない,
神々さを感じてしまう!

比々多神社は,
日本の歴史そのものだ!


三之宮比々多神社のprofile
住所:神奈川県伊勢原市三之宮1472
(主祭神)
豊斟渟尊 トヨクムヌノミコト
(またの名を豊国主尊 トヨクニヌシノミコト)
国土創造の神さま 大地・開発・発明・創造                        
何ともまあ,スケールの大きい神さまだ!
天明玉命 アメノアカルタマノミコト
玉造りの神さま 不思議な霊力発揮・子宝                          女性のための神さまみたい?だから女性は強いのか!
稚日女尊 ワカヒルメノミコト
機織りの神さま 衣料                                    女性の美しさは着飾ることからはじまったのか?                        だから女性は男性から見たらいつも美しい存在だ!                     
日本武尊ヤマトタケルノミコト                                  叡智と武勇の神さま 出世・開運・除災・交通・躍動,動きと働きの実力ある神さまだ。                             だから力に頼るからいつだって争いは絶えない。                                                         男なんかに世界の政治を任せてはいけないだろう! 

(相殿神)
大酒解神 (大山祇神)オオサカトケノカミ
酒造りの神さま 酒類業・山火鎮護                                                                       これも男が大好きな飲み物だ。                                 だが近年は女性も男に負けてはいない。                           ああ,男はドンドン小粒化していく!
小酒解神 (木花咲耶姫)コサカトケノカミ
縁結び・子授安全                                                           これも女性のための神さまに違いない。 

 どちらかと云えば男性より女性の方が社交性に優れている。                                                          ああ,男よ,はやく表舞台から消えよ!

三之宮比々多神社の定説
「社伝記」(しゃでんき・天保5年・1834年)では,御鎮座(ごちんざ)は初代神武(じんむ)天皇6年(紀元前655年)だ。この地は古くから人々が祭祀として行ってきたことから,この地を最良の地と選んで神を祀る社を建立したと云う。
相模国の霊峰大山(れいほうおおやま)を神体山(しんたいざん)として,豊斟渟尊(トヨクムヌノミコト)を日本国霊(にほんこくれい)として祀(まつ)ったことにはじまるとされる。
なお,「三宮冠大明神」の名を以て列記されているので特に有名なのは,征夷大将軍源頼朝公が妻政子の実朝出産に際して,安産祈願のために相模国の社寺に神馬(しんめ)を奉納されたとう記事による。
南北朝,室町時代に戦禍で神領(当時は今の約4倍・17,000坪)の大部分を失った。更に明応年間(1492〜1501)には,兵火で社殿を焼失した。天正のはじめに社地を現在の地に移転,神さまを遷したと云う。

天正19年(1591)に社が相模国の名社であることを知らされた徳川家康公は,社領10石を寄進し,ここで社頭の復興がなった。以後秀忠公・家光公以下12代の将軍から神領の寄進が続き,、明治維新に至る。
大東亜戦争では,境内の宮鐘も資源回収で供出を余儀なくされたが,戦後に氏子崇敬者の幸福と平和を願って,人間国宝・香取秀真(かりほつま)氏に新鐘の制作を依頼した。昭和25年(1950)には,香取秀真・正彦父子制作で第2の宮鐘が完成し境内に設営されるにいたる。
現在は献幣使参向(けんぺいしさんこう)指定神社に定められ,事始めの大神さまとして近隣はもとより広く関東一円の人々から篤く崇敬されている。

なんともまあ,由緒ある神社だ(感激,感服だ!)