初めて冬獅郎を、ここに連れて来たのは、愛染の偽殺害事件の後だった。冬獅郎は隊士にはもちろん、他の隊長格にも何一つ変わらない態度で接していたが乱菊が席を外して戻って来ると一人窓際に立ち深いため息を吐いているのをよく見た。家族である雛森に躊躇いなく斬りかかられた事が少年の心に深い傷を創ったのだ。水仙に囲まれた芝生で乱菊に無理矢理膝枕されたが冬獅郎は、疲れた様にあまり抵抗しなかった。ばかりか、クルリと向きを変えて乱菊の腹部に顔を埋めた。銀髪を指で梳き髪にくぐらせ。形の良い頭を撫でると微かな震えを感じる。
それがまるで雛森への気持ちの欠片のようで乱菊の心を傷つけた。
乱菊にとって冬獅郎は上司
、仲間の枠を越え身内の様に親しみ家族の様に思えていたからだ。
けれど、冬獅郎の嘆きを見るにつけ、冬獅郎の家族は雛森なのだと
想い知らされる気がした。
そうしている内に落ち着いたのか、くぐもった冬獅郎の声がした。
「松本……今この場限りの泣き言だ。聞いたら直ぐに忘れてくれ」

「……はい。」

「雛森の奴、家族『なのに』躊躇い無く斬りかかってきやがった」
ここで雛森の悪口の一つたも言える気性なら乱菊の人生は遥かに楽だっただろう。乱菊は直ちにに冬獅郎の心の傷の修復に入った。
「たいちょそれ違います。家族『なのに』ではなく家族『だから』です」
「どういうこった?」
冬獅郎は起き上がって首をかしげた。そして、乱菊の背に凭れて座った。
「敬愛する隊長の死を目の当たりにして混乱したと思うんです」
「そうだな」
一応は落ち着いたのだろう、素直に頷いている。
乱菊は髪を引っ張られる。
冬獅郎は手持ちぶさたになると、よく乱菊の髪を指に絡ませている。
らんが嫁いで来て早くも半年が経っていた。
らんが嫁いで来ているから、屡々、母君の茶会に呼ばれる様になった。母君は公家の出あって、和歌が好きであったが、冬獅郎は武家の嫡子らしく基礎的な手解きは受けたが、さして興味を持たなかった。
だが、らん姫は仮にも孫王の娘であるのだから、和歌に関しては上手く場を取り持ってくれるだろうと、冬獅郎は安心していた。
とこらが、らんは
「あたし、腰折ればかり詠むので和歌の先生に匙を投げられました」と、笑うので俄に不安になった。
ところが、ふたを開けてみれば、歌の感想を求められたらんは実に堂々と
「不調法故、技巧的な事は判りませぬが母上様のお歌を伺うと、まだ踏みもしない御吉野の桜が目に浮かぶ様で、いつか
母上様と冬獅郎様と、参さらせるる事ができたらどれほどの幸せかと思いました」

と、素人丸出しの事を言った。
母君を見れば不快そうでもなく目を細めて笑んでいるので冬獅郎も

「私も母上を都へお連れ申しあげとうございます」
と、言うと母君は今まで見たこともないほど優しく微笑まれた。

「しかし、あの様な誉め方があるとは知らなんだ」

「いえ、本来はもっと高尚なものでしょうが、知ったかぶりしても……てへ?
……それに」

「お前は……で?」

「母上様の様な、御身分の姫君は立ち歩くことすら稀ですわ。それが、牛車を仕立てて外出など余程のこと。そして、その地を懐かしみながら未だ和歌に詠む。余程の思い出深い地なのでしょう。そう
思ったら叶うなら今一度お連申しあげたいなと心から思いました」

らんは柔らかく笑んだが、どこか寂しそうな色を見付けて冬獅郎は抱き寄せた。
らんにも忘れられない場所があって、そこへ帰りたがっている様な気が俄にしたのだ。


将軍の姫を妻にする。冬獅は心から歓迎したわけではない。
高貴な姫と言えば、己が母が思い浮かぶ。あの様に権高く気難しい女など窮屈な事だろう。
まして、側室に据えざるを得ない恋人が不憫である。妻にすると約束した白菊太夫を思えば胸が痛い。もし、子を成しても男児であれば正室に委ねられる。まして将軍の娘相手では二歩も三歩も譲り堅苦しい思いをさせるだろう。労しい事だ。

しかし、対面したらんは
明るい面差しの童女めいた顔付きの姫だった。朗らかさに安堵して
居間を、訪ねれば手ずから茶を淹れ。煎餅を勧めてくれ。

さりとて、子供じみて
頭が鈍いわけではなく。冬獅郎が読みたいと思っていた洋書を読み解いており、冬獅郎が読み解く手伝いをの為に図や絵を描き手伝ってくれた。らんは気さくで屈託なく冬獅郎に付き従う者の中
で身分の低い者にも朗らかで己の知らない知識には目を輝かせ感心した様に聞いていた。

その様に気のおけないさっぱりした気性の女人故、冬獅郎は肩の力を抜き余計な気を使う事もなかった。子供の頃から自城内ですら命を狙われて来たが敵も将軍の娘に手を出すはずもなく、
らんのもとは城内で尤も安全で膝枕で昼寝する様になるまで時間は掛からなかった。
今一つ驚いたのは『化粧料』の話をした時だ。
つまりは衣装や化粧品他の懸かりの金子だが、らんに聞くと恥ずかしげに
「片手ほど、申し訳あしません」

「五十両で足りるのか……?」

「五十両など、まさか……」

(そりゃ江戸育ちの将軍の姫だものな)

「ならば、五百両か?」

「……そんな大金何をするのですか?五両と申し上げたのてすが」

「それで衣装だの賄えるのか?」

「冬獅郎様。あたしは嫁ぐ際に箪笥に三棹分の着物を誂えてもらいましたの。それこそ、毎日取り替えても一年も保ちますわ。だから冬獅郎様が『随分派手な着物を着ているな』と、思われたら新しい品を誂えてくださいませ」

ふと、冬獅郎は今より大人びた、らんには何色が似合うかと夢想した。

(先々じゃなくて、似合いそうなしながあれば勝手に買い求めよう)

そんな風に先々まで思い浮かべていた二人に影で蠢く者達が最初の牙を剥いたのだづた。

「俺に側室を持てと言うか?必要ない。これで話は終りだ」

「しかし、お子ができぬのでは」

「まだ、一年も経っておらん」

「しかし」

「終わりだと言った。」

「しかし、白菊太夫のお腹には若殿の
お子が。男子であれば、お跡継ぎですぞ」

そう言われれば身重の身体で一人心細くしているだろう日影の花の様な面輪が浮かぶ。

うるさ方を押しやって部屋に戻ると折りも折り、文机の上に白菊太夫からの文が置かれていた。
整った繊細な文字で、細々と寂しさを訴えている。冬獅郎は気が重くなって、らんに会いたくなった。
心変わりなど不実な事よと軽蔑する想いもあるが、人は寒ければ自然と太陽を求めるものだ。
らんの部屋に向かおうとした冬獅郎はその必要がない事に気付いニヤリと笑った。
寝所に入ると、らんは既に布団の中に人居た。
冬獅郎は、さっさと布団にもぐり込みもどかしげに腰帯をほどき会わせを押し広げる。闇の中でさえ白く輝く頂に歯を立てると、ささくれた心を癒す甘い薫りがする。すると、らんの手が優しく冬獅郎の
背を叩いた
(疲れておいでならこのまま休まれてください
)の意味だ。
冬獅郎は
母が健在ではあるが、このように優しく慈しまれた事がない。らんは母や姉の様に慈しんでくれるのだった。
(そうか、俺は姉の様に慕っているのか、らんを。俺が心変わり等不実な真似をするはずない)眠りの中で冬獅郎は一人納得したのだった。
夜半、うっすらとした光に冬獅郎は目を醒ました。らんが衝立の向こう側に紙燭
を灯したのだ。
と、無地だった衝立に梅の花と鴬(うぐいす)更に和歌が浮かんでいる。
「らん」
「わたくしの母は花嫁道具に持って参りました。いくら、内緒の苦しいとはいえ、味もそっけも無い品を花嫁道具に入れるとはと、不思議に思っておりましたの。でも、ある時、母が病を得て夜半に様子を看に参ったら、同じように浮かび上がった文字を指でなぞっておられました」
「愛しげに、とても愛しげに。仮名手でしたが男文字で…恐らくは、
母の想い人。二度と会うこともふれあうかことも文を交わすこともできない方。いつか年老いたら文のやり取りができたら良いねとおっしゃった方は数年後に儚くなられました。野辺送りに参列する術の母は西を向いてひたすら祈っておられました。もう、母の文に返事をくださる方は……おりません。けれど、冬獅郎様は間に合いますでしょ?……手を伸ばせば愛しい方に手が届く。どうぞご側室をお迎えくださいませ」

「だが……」

「江戸側に手出し言い掛かりはさせません。母の具合がよろしくないので一度、見舞い方々父を宥めに江戸に戻ってみますわ」

自信ありげに
微笑むらんを見て、その後に再び戻ってくれるのか問い正しくて仕方ない冬獅郎だった。






明けましておめでとうです。
今年もよろしくお願いします。
早速、入院しておしります。
初に「今年は入院しないぞ」
、宣言しましたがギリギリ守れた昨年よくです。
と皆様、ご健康にはお気をつけくださいね。