結論から言えば、私が過去クローン病であった事をバネに今の仕事をがんばっていたら相当に人を支配する人間になっていた事は間違いありません。


 過去つらい思いをしたからこそ養生を説き、養生の大切さを伝えていたら、です。


 “過去の体験は今を構成する一部にはなっても、過去の体験は今の行動を支配するものではなく、自分が自分でいなくてもよい理由にはならない。”


 と思っています。


 過去をバネにするというのはいっけんよい事に見えそうですし、それで結果も出ますし、出たら偉いですねと言われやすい事です。


 ただ、心の奥をのぞいてみた時にそこに苦しさがあれば、いやだなと思う心がわずかでもあれば、そのバネはどうにかした方がよいかもしれません。


 私自身、過去自分が難病だったから云々で行動はしておらず、言い方を変えれば過去に生きているのではなく、今現在の自分で生きています。


 仕事をする上でここはものすごく出る部分で無意識的に相手に影響を与える部分でもあります。


 苦しさに繋がるところでもあり、その苦しさを意志の力でコントロールしようとすれば、できても頑なになりやすいです。


 治療家をみても大なり小なりここに引っ張られて結果が出ない人、卑屈になる人、結果が出ていてもどこか違和感があったり、人相がわるくなる人、攻撃的になる人、嫌われている事に気づけない人もいます。


 私はこういう人間なんだ、というものが表に出過ぎている方はそのけはあるかもしれません。


 心の深奥に違和感が無ければほどよいところに落ち着くものです。


 人の役に立つということを追求した時にここは避けて通れないところと私は思います。


 私の場合ですが、個人としての難病の体験は今を構成する一部である事は否定のしようもありませんが、今やる事は、過去ではなく今の自分自身の奥底に問いかけて、バネではなく、今の自分ができること、求められていること、したいこと、を見極めるということをしています。


 その基本が心身の落ち着きであり、自分自身に落ち着きをもたらす事の意味の大きさがここにもあります。


 そこからの思考が有効です。


 この作業はそれなりに時間を要しますから思い当たる節がある方は取り組むとよいです。


 過去に生きていないか、今の自分をみているか、という視点です。


 スクールはただ授業するだけではなくそういうフォローも必要な門下生にはしていますし、すれば変わります。


 ちなみに真の責任感は意志の強さというよりも自分を偽らない事から生まれると思っています。