05 - バックストーリーと感情の中毒

 

私はあなたにバックストーリーを与え、あなたに未来を与える。

 

あなたは活動状態にある観察者として、それらを見るのだ。

 

さて、この観察者について話そう。

 

我々には、ホーリーホーリースピリットがいて、それが2つのプログラムを観察している。

 

1つは表面の下に隠れているものであり、それがバックストーリーだ。

 

もう1つは、意欲をかき立てるものである。

 

私は良い悪いという言葉や、高い低いという言葉を使いたくない。

 

だが、私が別の言葉を使えば、あなた方は私の言葉を理解出来ないだろう。

 

だから私は、あえてこのように言うことにしよう。

 

「あなたの人生は、良いものである。

 

そしてあらゆる存在が、元々善良な性質を持って生まれてくる。

 

あらゆる人生で、我々は思考を使って何でも作り出せる観察者としての能力を与えられてきたが、それらの人生で、我々は結局、自分の感情のドラッグ中毒者になってしまった。

 

我々は未知を既知にすることをやめてしまった。

 

我々は単にフィーリングに頼るようになり、人生の過酷な闇夜の中で、感情が我々を導いている。

 

そして我々は、そのバックストーリーを利用して、自分の善良な人生、自分の才能を蝕んでいる。

 

分かるだろうか?

 

DNAに関して、これは本当に素晴らしい。

 

「ほら、その体を私にくれ。

 

次の人生では、もっとうまくやるから。」

 

とあなたは言うが、ライトレビューの後にこれが起こる。

 

知っての通り、スピリットは至福の天界に行くが、至福の天界ではすべてにアクセスできる。

 

それから彼らは戻って来て、別の領域でブラブラする。

 

あなたもこれをやってきた。

 

だが、あなたが次の転生を渇望する時、神が創造したものは、私があなた方に教えているこの物語によれば、ちなみにこれは、もっとも完全で単純な物語であるが、ヴォイドが自分自身について熟考した時、これが生まれた。

 

神が生まれ、そしてこの狭い振動数帯が生まれ、未知を既知にし始めた。

 

ヴォイドは自分自身の中に、変質した空間を創造し、生きている炎が生まれる可能性を自分の中から生み出した。

 

始まりから現在までを説明するこの単純な物語は、あなた方にこれまで教えられてきた話の中で、最も偉大で最も満足させてくれる本物の話であり、あなた方がどうやってここにやって来たかを説明してくれる。

 

そして科学は、ビッグバンの前に何が起こったかについて話しているが、ビッグバンは可視光線という下の方の領域で起こった。

 

ゼロポイントから見て、可視光線が如何に低いレベルか分かるだろうか?

 

量子物理学者達は、量子的な紐に関する理論を作っている。

 

彼らはそれを何度も何度も掛け合わせ、引き伸ばし続けたが、最終的に時間が再び変化して、別の世界が生まれた。

 

量子物理学には、ポジティブもネガティブも無い。

 

あるのは確率の活動だけである。

 

誰も、確率をポジティブやネガティブという観点から見ない。

 

科学者だけが、それを「忌々しい粒子の振る舞い」と呼ぶ。

 

彼らが1つの電子を測定している最中に、それは別の可能性として現れる。

 

これは複数の並行現実、並行して存在する別の意識状態がある事を示唆している。

 

さて、我々はここで、良い悪いの話に戻る。

 

これについて、極めて論理的な人間の言葉で考えて欲しい。

 

救済とは何なのか?

 

誰が救うのか?

 

自分を救うという輝かしい行為は、赦しの中で、何を基準にしてはかられるのか?

 

教会は言うだろう。

 

「あなたは魂において邪悪だ」

 

と。

 

私はそれは違うと言う。

 

あなたはここで、前回の人生と闘いながら、仕事に取り組んでいる。

 

もしかしたら、それよりも前の沢山の人生と闘っているかもしれない。

 

あなたは、その時の実験室だった脳の中に、のめり込んでしまった。

 

そしてあなたは、希望や論理ではなく、感情に従い始めたのだ。

 

これは、かなり そっけなく聞こえる。

 

だがここで、死んだ人間の話に戻ろう。

 

間違いなく、ホーリースピリットは脳という実験室を眺めているが、心臓が止まると、最終的に、葬儀屋が血管を切って、あなたのすべての感情を吸い出す。

 

あなたのすべての痛みや、すべての自惚れ、すべての高揚感や失望、見かけを気にする気持ち、価値判断や正義感、妬みや喜び、セックスの時の感覚、あなたが中毒になっているこれらすべてのものが、あなたの体から吸い出されてしまう。

 

これは1つの警鐘である。

 

葬儀屋があなたの血管を切ってポンプを付け、あなたのすべての化学物質を吸い出して、防腐処理を施し、それらの化学物質が下水管を流れていくなら、それらに何の価値があったのか?

 

あなたは自分自身や、自分の家族を破壊し、人間関係やチャンスを破壊してきた。

 

あるいは、他に沢山の才能が無いからといって、あなたは自分の1つの才能を埋めて隠してしまった。

 

なんということか。

 

あなたは何時、成長するのをやめてしまったのか?

 

それは、あなたが毎日、良く感じたり悪く感じたり、正当性を感じたり、正しく感じたり、プライドを感じたりするために生き始めた時だ。

 

それらはすべて、脳の中の薬物製造所からやって来るものであり、葬儀屋が吸い出して下水道に流れていくものである。

 

それはバックストーリーである。

 

 

06 - バックストーリーと悪魔崇拝

 

さて、再び言うが、我々の偉大な創造の物語は、あなたを包含し、あなたを励まし、あなたを力付けるものだが、それは未知を既知にすることに関するものだ。

 

あらゆる人生が、この試みにおいて価値を持つ。

 

なぜなら人生は、光が物質を身に付けることだからだ。

 

我々は肉体の電流であり、我々はホーリースピリットである。

 

そして、この脳はコンピューターであり、コンピューターがスクリーンに投影したものを、体は感じる。

 

この物語はそのようになっている。

 

これを理解した上で、再び繰り返すが、かつての自分に関する記録が、脳のプログラムの中に無かったとすれば、一体どうやって、あなたはここに転生してきて、かつての自分を完了する、つまりかつての自分を征服することが出来るだろうか?

 

さらに、救済という輝かしい言葉がどこにあるというのか?

 

救済は、記憶が完全に消去された状態では起こらない。

 

自分がやったことを思い出せないのであれば、何から救われればいいのか?

 

したがって、バックストーリーは、これまでのあなたのすべてが凝縮したものである。

 

あなたには力があり、病人を癒したり、盲人を診て癒したり、無知な人間に知識を与えたり、貧しい人々のために苦労して家を建ててあげたり、人を赦したり、叡智を持って感情的に反応せずに他人の行為の理由を理解する力があなたにはあるが、他人の行為に感情的に反応するのはバックストーリーである。

 

なぜなら前回の人生で、あなたは感情的に反応したからだ。

 

気持ち良く感じるためである。

 

ここにいる誰もが、この惑星だけでも70億人の人間がいるが、あらゆる人間がバックストーリーを持っている。

 

バックストーリーは、サタンを崇拝することではない。

 

サタンを崇拝する人々は、自分自身のバックストーリーが表に表れるように、バックストーリーに力を与えているのだ。

 

それが動物であろうと、子供であろうと、人間であろうと、空気であろうと、彼らは無垢なものを傷付け、力を得るために悪魔を崇拝するが、それはそれらを破壊することによって、力の感情を感じるためである。

 

それはバックストーリーである。

 

それは別の存在ではなく、サタンでもない。

 

それは悪魔ではなく、悪魔的な霊でもない。

 

それらは作り話であり、すべてはあなたの中に住んでいるのだ。

 

バックストーリーは、これまでのあなたが凝縮したものであり、それを変えることをあなたは誓った。

 

そして、あなたの過去世での善良さや、立派な部分、他人に対する親切心や愛情や思いやりなどは、バックストーリーの中には凝縮していない。

 

それらはフロントストーリーの中にある。

 

 

07 - 善良な人々が極めてひどいことをする

 

さて、これはまさに真実だが、善良な人々が極めてひどいことをするのだ。

 

他人に対して、不親切なことや不当なことをするのは、ただ力の感覚を味わうためだが、それは不親切なバックストーリーの行為である。

 

我々が自分自身のバックストーリーのために他人を利用し始めると、我々はフロントストーリーを忘れてしまう。

 

善良な人々は、頭の中で恐ろしいことを考えているのだ。

 

コンピューターとインターネットによって、あなたは殺人の様子を見ることができる。

 

無垢な子供や、男や女を強姦する様子や、車で通りかかってホームレスの人間を銃で撃ったり、ホームレスの人間をバットで殴り殺したりする様子を見ることが出来る。

 

本当にひどい。

 

だがコンピューターを使えば、あなたは誰にも知られずに秘かにそれを見ることが出来る。

 

悪魔はコンピューターの画面に現れているのだ。

 

それは、あれらの昔から続いている感情を表に引き出している。

 

それらは、覚醒していない、未完了の、挑戦されていない、変化していない感情だ。

 

神の愛は極めて偉大なので、それを言葉で表現することは出来ない。

 

あらゆる転生で、バックストーリーが効力を持っていない限り、救済は起こり得ない。

 

そして、生まれてくるあらゆる人間が、善良な人間として生まれてくる。

 

善良さとは何なのか?

 

善良さは未来である。

 

未来とは何なのか?

 

未来とは、自分の1日を創造することだ。

 

未来とは、あなたの小さな世界で起こる、宇宙的な、世界を揺るがすほどの銀河的な出来事に対して、自分が支配権を持っていることを知っている叡智である。

 

あなたはそれらの出来事に対して支配権を持つことになる。

 

あなたがバックストーリーを使って急いでそれらを感じようとしない限りは。

 

未来は魅惑的で、魅力的であり、すべての人間を招いている。

 

それがあなたの善良さである。

 

あなたはすぐに退屈してしまうので、急いで何かを感じたがる。

 

それが何かを感じさせるものでなければ、あなたは本気でそれをやろうとしない。

 

あなたのフォーカスを維持することは、宗教的な信仰ではない。

 

あなたのフォーカスを維持して、観察によって現実を曲げることは、科学である。

 

そして観察というものは、何の化学物質も伴わない。

 

実際、観察するためには、すべての化学物質を無くす必要がある。

 

未来に行くことが、バックストーリーを無効にするのだ。

 

あなたが未来へと前進し続ければ、それは現実化する。

 

そして、あなたはそれをまったく新しい、美しい、素晴らしいものとして体験する。

 

そして、それがあなたの中に自信と力強い威厳を再び呼び起こしてくれる。

 

あなたはあたかも、初めて人生を本当に生きているように感じる。

 

善良さとは単にそのようなものだ。

 

それはバックストーリーが無い状態である。

 

善良さとは、過去の自分の状態に従って他人に価値判断を下すことを必要とせずに、あらゆる人間が自分の人生を生きることを許すことだ。

 

あなたはこれまで、自分自身に力をもたらすために、無垢な人間を傷付け、秘かに破壊してきたが、自分の脳と荘厳な力を利用して何かをするということが無かった。

 

善良さは常にあなたの中にある。

 

だが、それが利用されることはほとんど無い。

 

だからこそ、我々はこれを良い戦いと呼ぶのだ。

 

 

08 - 「サタンよ、汝は私の後ろに退きなさい」

 

あなたが頭の中で聞いている声は、他の霊の声ではない。

 

しかしながら、バックストーリーには常に仲間がいる。

 

ここには常に、地上から離れられない肉体を持たない地縛霊がいるが、彼らは光の領域に行くことを恐れている。

 

彼らはあなたの仲間になるが、彼らがあなたに何かをやらせる訳ではない。

 

悪魔があなたに何かをさせた訳ではない。

 

悪魔はあなたの中にいるのだ。

 

だが、我々の物語の観点から、それに関して賢明な分析をするならば、あらゆる人生がそれよりも前の人生によって、とり憑かれているという理解は、理にかなっている。

 

だが、今という贈り物は、明るく輝く征服者である。

 

では、何故、名高い男達や名高い女達は、自分の全人生を捧げて、彼らの中の善を純化することを追求するのだろうか?

 

それは、彼らの中の悪を征服するためだが、彼らは実際には、単にバックストーリーを征服しているだけである。

 

彼らは長い時間をかけて、自分の脳の中に接続を作り、接続を作り、接続を作り続ける。

 

バックストーリーが無くなるまで、それをやるのだ。

 

この学校で行なうことによって得る真実は、本当に天使のような体験である。

 

 

それは善であるあなたと、あなたの今の人生を力付けてくれる。

 

それはあなたがバックストーリーを征服するのを助け、あなたを自由にしてくれる。

 

そしてあなたはあのホーリーホーリースピリットを脳の中で思い通りに呼び出せるようになる。

 

トランスのような状態でそれが起こるが、自分自身のホーリースピリットの輝きで満たされた存在は、本当にパワフルである。

 

 

それは、それ自身の力を手に入れる。

 

その存在は、不足や不安や諸々の声や悪によって苦しんでいないからだ。

 

その存在は、神の愛で満たされている。

 

その存在は、それらのものを見て、それらを征服することが出来、それらに影響を受けない。

 

悪魔の法と、悪魔祓いの儀式の一部として、悪魔が自らの名前を言うように強いるというものがある。

 

悪魔が自らの名前を言った瞬間に、悪魔祓い師は、その悪魔を支配する力を持つ。

 

それは恐ろしい、ゾッとする話だが、1つの真実によって美化されてきた。

 

つまり、あなたが自分自身を知る時、あなたはその名前を知る。

 

そして、あなたがその名前を知る時、あなたはキリストがペトロに言ったように言うことが出来る。

 

ペトロはゲッセマネの園で剣を持っていたが、人々がイエシュアを逮捕しにやって来た。

 

イエシュア・ベン・ジョゼフは立派な男だったが、逮捕される前に、自分の選択が自分の人生を終わらせることになるということを、一晩中泣きながら恐れていた。

 

本当にそれほど恐れていたのだろうか?

 

本当のことだ。

 

本当のことである。

 

というのも、征服する軍隊と、イスラエルの人々は、彼らのバックストーリーの中で自分達の教義に固執していたが、今でも彼らはそうである。

 

彼らはあらゆる転生でバックストーリーが確実に中心に居座るようにしているのだ。

 

イエシュアが自分の運命を受け入れた後、ペトロはイエシュアの前に走り出たが、イエシュアはペトロに

 

「サタンよ、汝は私の後ろに退きなさい」

 

と言った。

 

この男は、バックストーリーの人々による、最も残酷で惨たらしい罰を受けようとしていた。

 

はっきりと自分の言葉を言った上で、彼が自分自身を救う唯一の方法は、その刑罰に耐えることだった。

 

彼は、聖ペトロに対して、

 

「お前はサタンだ。」

 

と言った。

 

だが、ペトロは単にイエシュアのバックストーリーにすぎなかったのだ。

 

イエシュア・ベン・ジョゼフは、子供の頃から、神の炎の言葉で満たされていた。

 

そして思春期に差し掛かった頃、彼は、当時の世界で最も偉大な、世間から身を隠したマスター達のところへ送られ、彼らの元で学んだ。

 

こうして、彼の無鉄砲な青年時代のホルモンは、素晴らしい知識を学ぶためのエネルギーとして使われた。

 

マスターベーションをすることと同じくらい簡単に、苦悩や欲求や痛みのエネルギーを上に上げて、それを燃えるようなマインドに変えることが出来る。

 

病気の男にフォーカスし、自分の種を、その男の弱った生命に与えて癒すことも出来る。

 

彼はその方法を学んだ。

 

 

09 - ホーリースピリットとバックストーリーを戦わせる

 

あなた方はそれぞれ、霊的な人生を探し求めてきたが、あなたは自分が何を探し求めているのか分かっていない。

 

それは、全ての知識を持ち、自分の複雑さを理解し、鎖から解放された自分の力を理解することである。

 

あなた方全員が、偉大な天使であり、偉大な光を持つ存在であるが、その光が暗いガラスに隠されてしまっている。

 

あなたは、闇を明るく照らす錬金術の光になるか、あるいは怠惰なガラスのままでいるか、どちらかである。

 

イエシュア・ベン・ジョゼフは世界中で知られている。

 

だが、彼よりも偉大なマスター達は知られていない。

 

というのも、有名になることは、決して彼らの目的ではなかったからだ。

 

だが、それにもかかわらず、彼らが行なったことは伝説的である。

 

そして彼ら全員が、同じ様な真実を持っている。

 

彼ら全員が、神と、自分と神の関係、そして運命を理解したいという願望を持っている。

 

そして運命とは、自分を映し出す鏡で囲まれた、目の前に展開し続ける廊下であることを、彼らは理解する。

 

あなたは自分のどのような側面を見たいだろうか?

 

自分の命をかけて、このワークを行なった人々もいるが、彼らがそれを行なったのは、彼らがパワフルになればなる程、バックストーリーもよりパワフルになっていったからだ。

 

自分の進歩を妨害する強力な破壊行為が、自分の中から生じ、そのような自分を征服する偉大な仕事を行なっていく。

 

彼ら全員がそれを通過していった。

 

あらゆるイニシエーションが、私の学校で行なわれている手ぬるいものではなかった。

 

あれらはイニシエーションでさえない。

 

だが真剣な生徒は、自分の闇とホーリースピリットを戦わせることになるが、彼らはあらゆるイニシエーションを重要視した。

 

それによって、彼らは自分の内面で、バックストーリーに対する勝利を積み上げていった。

 

それこそが、あなたと私が同意して、ここで行なっていることであり、あなたはそれを行なうことに同意して、ここに戻ってきた。

 

だからこそ、あなた方は善良で活発な人々なのだ。

 

だが、あなたは秘かにひどい気分と空虚感を感じている。

 

あなたは自分自身の思考を恐れているからだ。

 

それらはあなたの頭の髪の毛や肺の中の空気よりも自分に近いように感じられる。

 

その通りであり、あなたは今やその理由を理解している。

 

善と神の恩恵が、あなたに新しい人生と新しいプログラムを与え、前回の人生を救済する強さを与えた。

 

それは明るく輝く明けの明星として、再び戻って来て、未知を既知にし、輝かしい存在として目的のある人生を生きるためである。

 

この人生の目的は、クレジットカードで買い物をしたり、土地を所有したり、富を得ることではない。

 

その様な人生を生きることも出来るが、それよりも遥かに多くのものがあるのだ。

 

これらはすべて可能性である。

 

だが、それらの可能性の背後には、それらが存在する理由がある。

 

あなたがどれ程多くの富を持っていたとしても、それがあなたを葬儀屋から救ってくれる訳ではない。

 

あなたがどれ程 巨大な権力を持っていたとしても、それがあなたを死から救ってくれることは無く、神とホーリースピリットの日がやって来ることを避けることは出来ない。

 

富や権力を追い求めることは、空虚な試みである。

 

だが、良い意図から それらを現実化することは、未知を既知にすることであり、多くの人々が繁栄し、利益を得ることになる。

 

それは良い事であり、偉大なことだ。

 

神の愛によって拷問を受けることを、自ら選んだ人々は、旅を探求し、知識を使って自分の人間的な自己と戦った。

 

すべての人間がその戦いに勝つ訳ではない。

 

イエシュア・ベン・ジョゼフの物語は本当に美しい。

 

彼が本当は誰であったかに関する真実は隠されてしまったが、彼の謎めいた人生に関して本当に重要だったことは、彼が戦ったということであり、彼は戦うことを恐れなかった。

 

彼は当時の支配体制に戦いを挑んだ。

 

彼が戦ったのは、彼自身の血筋であるユダヤ人達だったが、ユダヤ人はユダヤ人以外の人々を愛していなかった。

 

それはお馴染みのバックストーリーだった。

 

すくなくともローマ人は、あらゆる人間の失敗に対する救済を持っていた。

 

一瞬たりとも、イエシュアが恐れていなかったと考えてはいけない。

 

彼は恐れていた。

 

一瞬たりとも、彼が泣かなかったと思ってはいけない。

 

彼は泣いた。

 

一瞬たりとも、彼が錯乱状態に陥らなかったと思ってはいけない。

 

彼はそうなった。

 

「サタンよ、私の後ろに退きなさい」

 

と言い、彼は十字架刑へと進んでいった。

 

「私はこの世界から去る。

 

私はただ、父のところに より早く行くだけだ。」

 

と彼は言った。

 

本当に美しい物語である。

 

この美しい勇気は、自己が揺れ動きながらバックストーリーと戦っている様子であり、バックストーリーは感情的なフィーリングの観点から、それは正しい、それは間違っている、という絶対的な確信を持ってしまう。

 

私がそれを間違っていると感じたり、正しいと感じたりするなら、それはバックストーリーである。

 

私は未知の領域に入る必要がある。

 

そしてこの男はそれをやった。

 

彼は膨大な苦しみを味わった。

 

 

10 - 自分自身を征服する

 

私は敢えて言うが、人々からまったく注目されていない、表に出てこないマスター達の過酷な試練について、あなた方は何も知らない。

 

彼らは自分なりのやり方で、自分自身を征服しているのだ。

 

我々が覚醒すると、ある人間を見て、その人間の内面が見える。

 

そしてその人間は実際にその通りの人間である。

 

そして他の人々を見ると、彼らのバックストーリーが見えるが、我々はそのような彼らを許す。

 

それが愛である。

 

それが、神が行なうことである。

 

さて、私の美しい存在よ。

 

私は常に、自分自身を征服しなさい、と言ってきた。

 

あなたも今や、自分が誰を征服しているのかを理解した。

 

それは良い戦いであり、ライチャスな戦いである。

 

そしてそれは未来の戦いである。

 

敵意や妬み、嫉妬心、悪意、秘かな中傷、不安、そういったものに関するどんな思考も、バックストーリーである。

 

我々が神との関係を望むなら、我々は自分の輝かしい部分を全て知る必要がある。

 

バックストーリーという過去の物語は、まだ不確かな、未知の良い物語と同じくらい、輝かしいものである。

 

だがこの学校は、真実をマスターする学校であり、かつては確信が無かったものについて、確信を持つことを可能にする学校である。

 

 

11 - 自己修正

 

私のところで長い間学んでいる人々が沢山いるが、あなた方は私の教えを理解することが無かった。

 

沢山の人々がキリストの信者になるが、彼らはキリストの教えを理解していない。

 

彼らは理解したと思っていたが、彼らは理解していない。

 

分かるだろうか?

 

バックストーリーがあなたを欺くというのは真実である。

 

あなたにとって、どちらが魅力的だろうか?

 

つまり、力付けられたように感じたり、正しく感じたりすることと、未来では、どちらの方が魅力的だろうか?

 

未来はそれらのフィーリングをすべて消し去ってしまう。

 

「私はラムサのところで学んだ。」

 

と言う人々が本当に沢山いるが、彼らは私のところで学んでいない。

 

何故なら、彼らは決してキリストの情熱を理解することが無かったからだ。

 

キリストとは、神なる男、神なる女が完全に実現した状態である。

 

それは、明るく輝く空けの明星であり、それは日の出であり、それは日没である。

 

それは、すべての新しい人生を愛する永遠の愛であり、力強く前進し続ける許しである。

 

神なる男、神なる女を実現するとは、あなたが聖人のように歩き回るということではない。

 

あなたは 聖人がどのような存在だか、分かってさえいないのだから。

 

その言葉の意味は、頭の中のあれらの思考を征服し、停止し、それらに挑み、それらを消し去ることであり、それらの思考をあなたの善良さや進歩的な性質に置き換えることである。

 

何の注釈も加えずに、あなたのコンピューターの画面でそれをやるのだ。

 

それは自己修正と呼ばれている。

 

生ける屍のようにバックストーリーを生きるのではなく、善とこの人生の贈り物を生きることがあなたの目標であって、初めて、あなたは自分を修正することを望むだろう。

 

あなたはこれまで決して、私の言うことを理解したことは無かった。

 

あなたが理解したのは、自分の欺瞞だけである。

 

あなたは、幸せになるに値する。

 

あなたは、天才になるに値する。

 

あなたは、愛するための理由を探す必要があってはいけない。

 

愛は、あなたの中に自然に存在するべきである。

 

クロスオーバーであったり、あるいは同性愛者であることが、バックストーリーであると誤解してはいけない。

 

それは確かにバックストーリーではあるが、性的な愛は、自分に同意しない人間をどれ位愛せるかという基準にはならない。

 

我々は、今のありのままの自分を愛し、前進していくことが出来るだろうか?

 

我々は、議論することをやめ、世界に対して自分の主張を唱えることをやめ、自分自身の善になり始めることが出来るだろうか?

 

我々が服装倒錯者であろうと、女であろうと男であろうと、クロスオーバーであろうと、間抜けであろうと、それは重要な事ではない。

 

我々が成長するかどうかが重要である。

 

我々は美しいだろうか?

 

我々が会う全ての人間が、我々と一緒に居ることによって慰めを見い出すだろうか?

 

もしそうであるなら、我々はグレートワークを行なっていることになる。

 

それが、救済というものである。

 

あなたは、悪魔という架空の存在を征服することは出来ない。

 

あなたが征服するのは自分自身である。

 

それは肉体であり、コンピューターであり、荒れ狂うその思考はまったく制御されていない。

 

それらを消去することを始め、自己修正しなさい。

 

自分の思考を監視し、意識的になりなさい。

 

そして、それを変える選択をしなさい。

 

そして、今現在、感情的な利益をもたらすかどうかという観点ではなく、未来に行くという観点から物事を見なさい。

 

思い出して欲しい。

 

性的な愛、つまり究極のオーガズムも、最終的には葬儀屋に処理されてしまうのだ。

 

ホーリースピリットは肉体から去るが、肉体を返してくれと要求することは無い。

 

ホーリースピリットは単に、脳の中のプログラムに力を与えただけであり、あらゆる存在が生まれてくる前にプログラムをダウンロードしてから、コンピューターの中に飛び込み、スクリーンに現れているものが確実に現実化するようにする。

 

未知を既知にするのだ。

 

我々の最大の不幸は、我々が人間の感情に頼りながら、人々、場所、物、時間、出来事に対して正当性を与えている時に生じる。

 

その時、あなたは悪魔と踊っていることになる。

 

あなたはこのように自問しなさい。

 

「私はこの訓練の結果を知っていると思っているかもしれないが、前回、私が良い戦いをして真実を得たのは、一体いつのことだろうか?」

 

という風に自問しなさい。

 

それが我々の学校の目的である。

 

自分の夜と、自分の朝を創造しなさい。

 

これまでよりも熱心にそれをやるのだ。

 

あなたがどこにいようと、悪魔はエーテル界にいる訳ではないということが、今やあなたにも分かったはずだ。

 

それはあなたの中にいる。

 

そして私はあなたの味方である。