二十日莉奈です。
今日の放課後は髪を切りにインターパークに行っていました。
夕方のビレッジは人も少なく、肌寒かったです。
至るところでハロウィンのカボチャの装飾も見かけ、洋服もすっかり秋物。
もう秋ですね。
13時29分発の七尾線に乗車。
車両はなんとクハ455‐701連結の413系。
クハ455‐700はサハ455を改造して運転台を取り付けたもの。
どういうわけかモハ412・クモハ413と連結を組み、他の413系とともに運用に就いている。
かつては北陸で普通に乗ることができた475系も引退し、七尾線で残るこの2両が、国鉄急行型最後の生き残りである。
車内は急行型の面影を様々なところに残していた。網棚や帽子掛け、ボックスシート、電灯などは475系そのものである。
ただ、デッキと仕切りがないと落ち着かないな…。
津幡までは人も多かった。私は昼食に富山で買っておいたパンと「ととかつ」を食べた。
同じボックスにはキャリーバックを持って旅行をする老夫婦がきた。
和倉温泉にまで行くらしい。
森本駅のホームに残る雪を、じいちゃんが指差してばあちゃんに教えていた。
窓の外
翁指差す
残雪や
そんなしみじみとした光景を目に焼き付けながら冷たくなったととかつを頬張った。
津幡で旧北陸本線から分かれ、七尾線に入った列車は早速デッドセクションに差し掛かり、
交直切替のために車内のほとんどの電灯が消える。
非常灯だけが灯るのが懐かしい。
やがてまた電気がつき、列車は中津幡に停車。
七尾線は単線で、津幡まで広がる「金沢都市圏」を出ると沿線には大きな都市もなく、ただまばらな民家と田んぼしかない、閑散とした風景が車窓には広がる。
雲の分厚さが余計に風景を寂しいものにしている。
棒線駅で受験帰りの中学生を降ろしながら能登半島を北上していく。
…デッキがね…。
宇野気駅。一年前はここで降りたけれど、今回はさらに奥までイク。
横山駅。
高松で上り特急列車との交換のため5分ほど停車。
隣には415系800番台がとまっていた。
もともと福知山にいた113系に整流器をとりつけて交直流車両に仕立てあげた訳ありの車両だ。
その113系というのもかなり古い初期型で、窓もユニットではなく、埋め込み式になっていて角が丸まっている。
車齢は50年以上のものあるという。
乗っているクハ455‐700よりもきっと古い。
屋根のないホーム。
列車交換と長時間停車。
それらが良いのか悪いのかは別として、地方の国鉄そのままだった。
私は小雨に濡れながらホームを歩き回った。
同業者も数名。向こう側のホームからもカメラを向けている人がいた。
みんなクハ455目当てだ。
屋根のないホームの上にも照明用の電線が通っているのも昔懐かしい。
本当に田舎に来てしまった。そう思った。
二本の赤い列車。
どちらも国鉄型である。
ここで475系列の最後の活躍をカメラに納めておく。
降りる駅ではきっとそんな余裕はないであろうから。
それにしても、この車両だけは急行電車そのままで感動を覚える。
先頭にも行ってみる。
普通の413系だが、北陸本線経営分離+521系の導入で、活躍の場を七尾線にうつした。
JR西日本とあいの風とやま鉄道に継承されたが、JR車の多くは青と白の北陸色からワインレッド一色に塗り替えられ、主に七尾線で現役である。
あいの風とやま鉄道でも朝と夕方を中心に活躍が見られたが、ついに今年のダイヤ改正より置き換えがはじまった。
数年後には見られなくなっているだろう。
475系が現役の頃ははずれであった413系でさえも、今となってはたいへん貴重な車両になってしまった。
取っ手がついた急行ドアを引き、車内に戻る。
デッキがなくなったとはいえ、化粧版の上のクリーム色のフチが懐かしい。
確かに475系の面影は残っていた。
この、ドアの上も。
特急列車が通過。能登かがり火だろうか。
また列車は動き始める。
どんどん風景は寂しくなっていく。
確かにデッキ付きの2ドアだと、夕方の混雑時、富山や金沢近辺では乗り降りに時間がかかる。
鉄道に乗ってくれる人がたくさんいることはいいことだけど、人が多い区間では3ドアの521系のほうが融通は利く。(でも2両だと輸送量不足だと思うんだけどね…。)
このような閑散路線だからこそ、懐かしい車両が残ったのかもしれない。
宝達駅。駅前には洋菓子屋さんがある。
敷浪駅。
周辺は田んぼ。
このあぜ道沿いに電柱が立っている風景がなんとも昭和な感じでぐっとこみ上げてくるものがある。
交差するところに三本並んで立っているのが少し不可解ではあるが、この「よく分からない」感じもまた趣き深い。
駅の待合室で高校生の姿を何人か見た。
女子は冬用の黒セーラー服、男子は襟詰め。近くに私立高校でもあるのだろうか。
敷浪駅を出てしばらくしたころ、車窓からは古びた団地も見えた。
もはや旧ソ連のようだった。
南羽咋をでる。475系での旅も最後だ。
駅に着く。
私は再会を約束し、列車を後にした。
羽咋はUFOの街だ。改札のところにも宇宙人がいた。(駅員さんのコスではありません)
宇宙と交信したい気分にもなったが、帰りの列車の乗り換えの都合上、すぐに跨線橋を渡り、隣のホームに行かなくてはならなかった。
古びた跨線橋にはUSJの広告が貼ってあった。
FF外から失礼するゾ。
ホームからクハ455を撮りたいと思ったが、それもかなわず。
私はまもなく到着した七尾線に乗り込み、帰路についた。
こちらは415系800番台。
111・113系時代からの車齢は50年を超え、現役車両のなかでもトップクラスだ。中には1964年夏ごろ(東海道新幹線開業前ですよ!)に落成したのもあるという…。
475系の登場年でさえ1965年なのだから、一部の車両は数年前に引退していった急行型よりも古い。
リニューアルされてはいるが、いたるところに古い部分を見る事ができる。
ちなみに盛岡のkenjiのキハ28が1961年で最も高齢であったが、引退が決まっている。
大所帯で金沢に残る415系800番台が上位独占状態になる日も遠くはない。
ただ正直なところ、私は415系800番台はあまり好きではない。
このような古い車両に乗れたことはこの上なくうれしい事なのだが、
ボックス間隔が広くなっていて落ち着かないし、窓枠と微妙に合っていない。その上芳香剤の変な香りが漂っている。
個人的には、比較的若くど古き良き国鉄を保っている475系で置き換えなかったのかが気になる…。
(415系800番台ファンの方、本当にごめんなさい)
敷浪駅。
やはり高校が近くにあるのか、自転車置き場が。
宝達駅。
桜がホームの端に生えている。暖かくなったらきれいな花を咲かせるのだろうか。
そして、行きは気づかなかったけれど、ホームはれんが積みだった。
用水路でも流れているのか、アーチ状の空洞が。
ちなみに宝達駅は1898年の開業である。
この頃から残っているのだろうか。
行きも見かけた駅前にある洋菓子店。
どうやら松月堂といって、和菓子も販売しているらしい。
どんなケーキが売っているのだろうか。
降りる機会があれば絶対に行ってみたい。
横山駅。
このあたりで、食べていたぷっちょソーダ味・コーラ味(富山のセブ入れで買った)に入っていたアスパルテームに気がつき、衝撃を受ける。
なんてものを口にしていたんだ…。
そのショックから卒倒してしまい、しばらく記憶がない。
そういうの気にするみんなは、ハイチュウソーダ味・コーラ味を食べよう!(人工甘味料なし)
地域高規格道路国道159号線/県道56号線と並走。
信号はなく立体交差、とても立派な幹線道路である。
莫大な公共事業費(=税金あるいは国債)によって完成した、必要以上に規模の大きい地方の幹線道路は地域住民の鉄道離れの原因となると同時に、
コンクリートとフェンスによって美しい田舎の景観を破壊し、「ファスト風土化」をすすめる。
だけども地方の有力者は「地方創生だ」といって幹線道路の誘致を推し進めている。
本当の「地方創生」とは、環境にも景観にも国家の財政にも悪い無駄な公共事業(計画途中の新幹線含む)をやめて、
美しい景観(=観光資源)を守り、高齢者と学生に優しい鉄道中心の社会を実現することではないだろうか。
私はそう言いたい。
…と思ったら、この幹線道路は北陸自動車道と能登有料道路をつなぐ道路らしい。
北陸道から能登方面へのアクセスのために一般道路の混雑がなくなることを思えば、決して無駄な事業ではないかも。
このあたりで鉄道の混雑をあれこれいいながら鉄道の復権を主張する矛盾に気がついた江音りな。
デッドセクションを抜け、
IRいしかわ鉄道線と合流。
まもなく津幡。
津幡到着。
金沢方面に去っていく列車を見送り、また数分乗り換え。
再び富山に戻る。
静かなホームには、アニーローリーのメロディだけが響いていた。
ここで15時20分ごろ。
ようつべカスタマイザ