基地ネット全国交流会in大分・日出生台 | 国鉄闘争

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 2月26日、全国基地問題ネットワーク、大分県日出生台対策会議(大分県平和運動センター、社民党大分県連合、部落解放同盟大分県連)の主催で基地ネット全国交流集会in大分・日出生台が別府公民館で開催され、全国から約450名が参加しました。

 四国から九州は、近いようで交通の便が悪く、私は、マイカーで高速道路を走り、八幡浜から別府行きのフェリーで会場に向かいました。

 集会は、主催あいさつの後、琉球新報報道部長の松本剛さんから「基地負担軽減の虚飾-沖縄の軍事要塞化に抗う」という演題で記念講演がありました。

 松本さんからは「最近、日本会議など右の側からは、高江や辺野古の反対運動をしている人々は、地元の人間ではなく、反戦テロリストという宣伝をしている。1月から始まった国会で、安倍首相の施政方針演説では、沖縄との対話という言葉が消え、沖縄問題を強行するという宣言」と言われ、続けて「12月13日、名護市安部の海岸に墜落したオスプレイを墜落と報道したのは琉球新報だけであり、12月23日の北部訓練場返還式はさすがに延期かと思ったが強行された。山城沖縄県平和運動センター議長の逮捕、拘留が135日間に及んでいる。これは沖縄だけの問題でなく、日本の民主主義、思想・信条の自由に対する弾圧である。全国から大きな支援体制、声援を送ってほしいし」と訴えられました。

 

 翌日、砲弾訓練が行われている日出生台演習場のフィールドワークに参加しました。実弾砲撃訓練は、2月27日から3月8日までの10日間、実施され、沖縄の基地負担軽減を目指した日米間の「SACO合意」から20年が経過する中、在沖縄米軍の訓練は3年連続12回目となります。

 当初、米軍がここで使用する武器は「155 ミリりゅう弾砲のみ」と説明されていましたが、7 回目の訓練からは、155 ミリりゅう弾砲に加え、小銃、機関銃など様々な武器を使用しての実弾演習が行われ、移転元の沖縄県道104 号線越え演習では使われていなかった白リン弾や照明弾なども使用されるようになり、世界で最も戦争に関わってきた米軍による日出生台での演習は、まさに戦場さながらの様相を呈してきているという説明がありました。

 また、これまで一貫して反対闘争を続けてきた、畜産業の衛藤洋次さんの「最近はこの時季だけしか話題にならず、落ち込むこともあるが、今日は全国から、多くの人がこの日出生台の現地に立ってくれてうれしい。僕は日出生に生まれ、日出生で生きてきた。水も空気も素晴らしく、住んでいる人の心も純粋。そんな大好きな大地で戦争につながる訓練をするのは許せないし、子や孫に素晴らしい大地を残してあげたい。沖縄も佐賀も気になるが、牛を飼っていて現地には行けないし、自分がこの地で頑張ることで、全国の闘いに繋がっていくと思っている。無駄な抵抗かもしれないが、許せないもの許せないとこれからも反対運動を続ける」というひとつひとつの言葉が胸を打ちました。

 衛藤さんの説明後、間もなく砲弾が3発発射され、衛藤さんが「なかなか現地に来て発射を確認できるのは珍しいこと。全国から大勢来たので歓迎してるのかな」と言われていました。発射地点から着弾地点まで約6Km(感覚で20秒ぐらい)だそうです。

 現地で厳しい闘いを続けていても、明るく情熱的な人を引き付ける人柄は、どこか山城沖縄県平和運動センター議長に似ていると感じました。

行動番外編

 2日間の行動は無事に終わりましたが、無事でなかったのは私の愛車…別府から集合場所の湯布院道の駅に向かう高速道路で、運転席側にビシッという衝撃…「砲弾攻撃か?」と、そんなわけはなく、飛び石攻撃を受けてしまいました。別府に来る前、“あめんぼう”をしっかり塗ってきたのに、当然、飛び石には効果無し。

 傷は、道の駅について確認した時には大したことがなく、ほっとしたのもつかの間、道の駅からバスで演習場まで行って帰ってくる間に、40~50Cm程ひびが広がっていました。

 帰りの道は、高速道路を170Kmほど走らなければならず、これ以上、ひびが広がらないかドキドキもんでした。しかし、そんな状況下でも「ん~当たる?これも何かのお告げなのか」と、途中でグリーンジャンボ宝くじを買いながら帰ってきました。果たして結果は…

 ちなみにフロントガラス交換は6万円程…高い行動につきました。