毎日猛暑だと、冬に憧れます。

私は、3月産まれだからなのか「夏」は昔から苦手でした。

我が家には、小中高とエアコンがなく扇風機だけでした。

冷風機はありましたが、真夏にはあまり意味がありませんでした。

それでも、あの頃は「30℃」を超える事が稀でした。

今では、「40℃」が当たり前になろうとしつつあります。

あ~。冬が恋しい(^_^;)

画像は、2010年12月大晦日の豪雪の記録です。車や屋根の上に積もった雪をみれば、どれだけの豪雪だったかが分かります。

この実家に引っ越してきた(小学校6年生の12月)時も豪雪でしたが、その時以来の豪雪と言われました。

山陰の鳥取県は、明らかな西日本の県でありながら、豪雪地帯に指定されているのです。

 

さて、録画していた番組。

NNN「ドキュメント’24」で広島の被爆を生き残った方を特集していました。

当時、中学2年生。

戦争の末期ですので、建物疎開(空襲で火事が広がらないように、あらかじめ木造建築をたたき潰す)に中学生も動員されていました。

8月6日も動員予定だった、2年生。

ところが、担任が「8月6日(月)を休みにする」と宣言するのです。

後で分かった事ですが、軍都でありながら広島への空襲が少ない事が担任の先生には気がかりだったのです。

もし、我が生徒が動員されている最中に大空襲になったら?

生徒達の命を大事にしたかった決断でしたが、同僚の先生たちからは「非国民」と非難され激論までたたかわせた。

そして、8月6日。

2年生は、自宅に居たためにほとんどが助かり、1年生はほぼ全滅だったのです。

「生き残って申し訳ない」という気持ちで生き続けた約80年。

いったい、どんな思いだったのか想像を絶します。

この方は、原爆ドーム保存運動が始まった頃は「朽ちてしまえばいい」と思っていたそうです。

原爆資料館もなかなか足が向かず、初めて入館したときは辛くてすぐに出てしまった、と。

それでも、奇跡的に生き残った1年生の後輩が、被爆の実相を語り続けている姿に感銘を受け、自らも語り始めているのです。

明日は、広島原爆の日。

亡くなった方への追悼とともに、「核兵器廃絶」を早急に実現しなければならない、と思いました。