「3・11」
13年目のこの日がやってきました。
あの日、遠く離れた西日本の山口県は上関の地に住んでいた私。
呑気にも昼寝をしていた時、妹からの電話で第一報。
「テレビを観て!凄い事が起こっている。こんな事が現実なの?!」
寝起きで頭がボーッとしている中、テレビをつけて。
現実とは思えない大津波の映像。
それからは、テレビから離れられなくなって、ずっと報道を見続けました。
すると、福島第一原発の事故。
「日本の原発は絶対安全」と政府をはじめ推進派が言い続けた言葉の嘘が一挙に剥がれた瞬間でした。
山口県上関町では、その数週間前に中国電力が「上関原発」の建設工事を強行した矢先でした。
さて、13年目を迎えた今でも、数万という規模で「避難生活」を続けている人々がいる現実。
また、大震災で避難した住民を待っていた過酷な避難生活。
今年起こった能登半島地震では、それらの教訓が活かされていない事に驚きます。
超冷たい体育館の床下に雑魚寝で避難。
志賀原発では電源が失われる最悪の事態は避けられたものの、一歩間違えばという綱渡り。
仮に原発事故が起こっても、道路はボコボコで避難できない状況。
今日本中が危惧しているのが、首都直下地震と南海トラフ巨大地震。
今こそ、大震災の多くの犠牲のもとで得られた教訓を実行に移すときです。
画像は、当時住んでいた上関町の名所「皇座山」の風景です。
「3・11」からちょうど1ヶ月の風景です。
春ののどかな風景。現実とのギャップに複雑な気持ちになっていました。