今日は、一日、快晴\(^o^)/

まさに、雲一つ無い天気でした。快晴の日が、連続してあるのは大変珍しいです。

山陰の冬は、「曇り」。まさに、山の陰なので(^_^;)

雪(あるいは雨)か、曇りが定番なので、晴れた日が続くと「あれ?春が近づいてる?」って勘違いしてしまいます。

 

こんな日に散歩しなくて、いつする?

今でしょ!w

本当は半ドンの土曜日なので、午後から時間はあるはずでしたが、残業をしていたので夕方ギリギリになっちゃいました(^_^;)

 

今日から、蓮池町に突入です。

私が境港にやってきてから、現在の実家を建てるまでは、この町の住人でした。

恐らく7~8年だと思います。

父が務めていた水産会社(父は漁船の網長でした)の社宅アパートがこの町にあったのです。

当時は、店らしい店は何もありませんでした。

ところが、今、この蓮池町には、ディスカウントスーパー、ドラッグストア、ゲーム&レンタルDVD屋、ラーメン屋、ディスカウント酒屋と町民だけでは消費しきれないほど店が連なっています(^_^;)

 

 

 

① 歩き始めは、ディスカウントスーパー「ディオ」境港店から。

このスーパーは、蓮池町の端っこになります。

 

 

② スーパーのお隣にあるのは、済生会病院が運営する介護施設で、病院への入り口の道がこの画像です。

私が住んでいた頃は、ここに、その社宅アパート(4階建て2棟続きの一つ)が建っていました。

アパートの間に公園があり、アパートの裏手にも公園がありました。裏手の公園が介護施設になっています。

 

 

③ 遠くに見えるのは、ドラッグストア。

この駐車場の隣に、アパートが建っていて、私の家族が住んでいたのは4階(最上階)でした。

屋上がすぐ上なので、屋上でよくアパート仲間達と夜遅くまで遊んでいました。

親としても真上で遊んでくれているので安心だったでしょう。

 

 

④ この道すじには、多くの家が密集していました。

幼なじみ(島根県大田市に引っ越してしまった)の家もあったはずですが、40年も経つと様変わりです。

 

 

⑤ 小学生の頃の通学路です。

私が通っていた40年前は、右側に家はほとんどありませんでしたが、今では完全に住宅街です。

 

 

⑥ 奥手に車が並んでいる、中古車屋の駐車場のあたりに、私が住んでいたアパートがありました。

 

 

⑦ キターーーーーーー!

この踏切は、小学校、中学校、高校になってもよく使っていた踏切です。

いろんな想い出が走馬灯のように蘇ります。

ちょうど、境線の米子行き普通列車が来ました。

 

 

⑧ この踏切のそばの広大な空き地。

小学生の頃は、ここに巨大な紡績工場があり、たくさんの紐をつくっていました。

子ども心に工場の機械の動きが面白くて、よく眺めていました。

ただ、薄暗い道だったので、日が暮れると怖かったのを思い出しました(^_^;)

 

以上、蓮池町の想い出でした。

40年も経つと本当に変わってしまいますが、土地の記憶はちゃんと残っていました。