高山神社 御朱印&勝守(群馬県太田市本町) | まほろば御朱印紀行

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 群馬県太田市の中心部から北西にいったところに神社は鎮座していました。
 近くには「義重山大光院(浄土宗関東十八檀林)」や「太田春日神社」がありました。
 最寄り駅は、東武伊勢崎線・桐生線・小泉線「太田駅」になります。

 こちらの神社の由緒は以下通りです(大修館書店刊『日本の神仏の辞典』による)。
「群馬県太田市本町の旧県社。高山彦九郎正之命を祀る。例祭は3月15日、11月15日。明治6年(1873)に彦九郎の生誕地である細谷村に祠を建立し、十一年に明治天皇はじめ皇族方の下付金と一般民の寄付により現在地に社殿が造営され、翌年遷座した。」

 こちらの神社の由緒は、次の通りです(東京堂出版刊『神社辞典』による)。
「群馬県太田市本町。旧県社。京都三条大橋端の坐像で有名な高山彦九郎正之命を祀る。
 明治六年(1873)に県令の許可を得て祭神の生誕地(太田市細谷)に石祠を設け、同十一年内務卿の指令をうけ翌年現在地にて鎮座祭を執行した。
 祭神は寛政三奇人の一人、勤王思想家、剛勇で節義を尊ぶ性質。家農を業としたが『太平記』を読み建武新政の忠臣に感動し十八で京で遊学。また諸国を歴遊し多くの志士と交わる。当時、国内では天明の大飢饉、農村の疲弊、寛政の改革と幕藩体制が揺らぎ、対外的には列強の接近など緊迫していた。そのような中で救援隊を組織したり、寛政二年(1790)にはロシア渡来航の報に触れ松前に赴く。同五年幕吏に追いつめられ九州久留米にて自刀した。
 祭神宅跡(遺髪塚)は国の史跡。遺墨・遺品は社宝。
 例祭は1月15日、3月15日。」

 石段を登り、鳥居を潜ります。
 まだ進みます。
 花手水でした。
 綺麗な花手水である。心が和む。

 石段をまだ登り、境内に到着。
 私もいい年なので登るのがつらい。普段は運動はしていないのが悪いのかな?

 社殿です。
 平成26年12月30日に放火により社殿が全焼してしまいました。とても残念です。
 
 以前は神明造の社殿であった。
 平成26年1月3日に参拝をしている。

 参道途中にある社務所にて御朱印を頂いた。シンプルな神社名+神璽の御朱印は300円、私が頂いた御祭神の御朱印は500円の御朱印代になる。

 帰りに御守を頂いた。「勝守(かちまもり)」になり、スポーツみたいな勝負事以外にも人生の勝ち組になるといった意味合いで頂いた。
 裏には神社名が入る。
 やはり神社名の記載がある御守は、なんだか良い。

 TwitterやInstagramをしているので、御朱印対応日がわかる。
 なお宮司さんの本務社は伊勢崎市の式内社「倭文神社」になる。その倭文神社と「宮子神社」は事前に連絡をして頂ければ、その時に日時や頂ける場所を決めて御朱印は頂けるそうだ。群馬県神社庁のホームページに電話番号の記載がある。



神社名:高山神社
鎮座地:群馬県太田市本町48‐32
祭 神:高山彦九郎正之命
社格等:旧県社