氷川天満神社 旧称加納天神社(埼玉県桶川市加納) | まほろば御朱印紀行

まほろば御朱印紀行

日本のまほろばを探して、社寺散策をしています。 社寺散策の日記を中心にいろんなブログを書きます。


 埼玉県桶川市加納に鎮座する氷川天満神社に参拝する。

 最寄り駅は・・・

 県道蓮田鴻巣線沿いにあり、桶川市の中心部からは離れているので静かな場所だ。


 こちらの神社の由緒は、次の通りです(案内板による)。
「氷川天満神社 御由緒
   桶川市加納七七一 
 御縁起(歴史)
 『埼玉県地名誌』によると、加納は中世荘園である深井荘の追加開墾地であるところから生じた地名である。地内には、室町〜戦国期の加納城跡があり、岩概太田氏の旗下本木氏が居住したと伝えられる。この本木氏の後森裔が江戸期に上・下加納村の名主を務めたという。
 当社は二社の合殿となっているが、元は別々に祀られていて、天満社が現在地にあり、氷川社が今よりも1kmほど東方に離れた字宮ノ脇の地(現在のタカハシプレス工業の敷地)にあった。『風土記稿』によると、氷川社は上・下加納両村の鎮守で、天満宮と共に真言宗光照寺が別当であった。一説にこの光照寺は、戦死した加納城主の長男が出家して城の近くに庵を設けたのに始まるという。
 神仏分離を経て、明治六年4月氷川社・天満宮共に村社となった。次で明治四十年5月に氷川社と字本村の無格社八雲社を天満宮に合祀したのを機に社名を氷川天満神社と改めた。天満宮の方が合祀先に選ばれた理由としては、そこの周辺に有力者が居住していたことが拳げられよう。このときの御遷宮に際しては、氏子の各戸の庭先で『餅搗き踊り』を行うなど村を挙げて祝ったとの話が残されれている。
 神仏分離後の祀職は、合祀を経たころまでは、地元の加藤周蔵が務め、その跡を桶川の稲山家が継いだ。更仁昭和初年からは地元の桜井家が継ぎ奉仕している。」


 鳥居。
 手水舎。
 社殿。
 こちらは「加納天神社」と呼ばれていた神社だ。その地に「氷川神社」を合祀したとされる。氷川神社は格上の神社のため「氷川天満神社」いう社名になったそうだ。

 大神宮。
 神楽殿かな?
 御朱印は、埼玉県神社庁のホームページにあった宮司さん宅に電話をすると直ぐに駆けつけてくれた。御朱印代は300円です。

 ご祈祷は事前予約制かと思われる。授与品もあるかもしれない。




神社名:氷川天満神社
鎮座地:埼玉県桶川市加納771番地
祭 神:素盞鳴尊 菅原道真公 伊弉冉尊
社格等:旧村社 神饌幣帛料供進神社
旧 称:加納天神社