群馬県桐生市にある「桐生が岡動物園」の近くにお寺はありました。
最寄り駅は、JR両毛線「桐生駅」・上毛電気鉄道「西桐生駅」になります。徒歩では、約30分位はかかりそうです。
寺院専用の駐車場はありました。
こちらの寺院の由緒は、次の通りです(桐生仏教会刊『積善 桐生のお寺』による)。
「寂光院の前身、寂光庵は桐生町下久方村押出、現在の天神町2丁目に所在した。この庵は文化十一年(1814)新居善右ヱ門らが中心となり創立された。善右ヱ門の孫にあたるのが新居日薩上人である。上人は天保元年(1830)桐生の機業家、新居惣左ヱ門の六男として生れた。秩父浄蓮寺、金沢立像寺充治園の遊学をへて東京駒込蓮久寺に住職した。明治元年、政府は神仏分離令をもって仏教弾圧に乗り出した。その混沌とした時代、日薩上人は明治七年、日蓮宗総本山身延山久遠寺七十三世法主となり、同十一年、日蓮宗初代の管長となった。同十九年、大本山池上本門寺六十五世の貫首となり同二十一年8月29日59歳で遷化された。
寂光院建立は明治十三年11月26日。日薩上人の祖父らが桐生に日蓮宗寺院が一ヶ寺もない事を嘆き建立を発案した。上人の実弟常七は日本式掛時計業界の草分けであり、銀座に近江屋という日本式掛時計屋を開業し、建立に際し資金3,600円の内2,000円を負担した。折しも桐生2丁目の町衆が祇園祭踊屋台を新調することになり、金50円にて旧屋台を譲り受け、旧屋台の彫刻品を荘厳具などに使用した。開堂供養には管長である日薩上人自ら桐生に赴き導師をつとめた。当時、上人は日蓮宗管長であったため、池上本門寺六十ニ世大車院日軌上人(日薩上人の師僧)を開祖とし、日薩上人が開基・二祖となり、上人の弟子椎日敬上人を三祖住職とした。
境内に安置されている浄行菩薩は人の心や身体を浄め、煩悩を断ち切ってくれる菩薩であり、『なで仏』『洗い仏』とも呼ばれ、私達の病む所と同じ所を洗う事によって抜苦与楽を願います。
【大鷲宮】
明治二十四年11月に本町2丁目大森林蔵らが中心となり、東浅草千束町の鷲大明神を分霊し講中を組織した。毎年11月の酉の日に酉の市を執り行っている。11月3日文化の日に市内の商店街の協力を得て、本町ジョイタウン広場にて出開帳が開かれ、商売繁盛・家内安全を祈願している。」
寺院名:経王山 寂光院
所在地:群馬県桐生市西久方町
宗 派:日蓮宗
本 尊:久遠実成釈迦牟尼仏
札所等:なし