国士舘二人のスーパースター対決 (前編) | 国士舘ちゃんねる 実録喧嘩劇場!!    一般社団法人「國士舘OB會」運営

国士舘ちゃんねる 実録喧嘩劇場!!    一般社団法人「國士舘OB會」運営

昭和時代の都内最強武闘派の國士舘高校と朝鮮高校が激しい抗争を繰り返した。最後の國士舘と呼ばれた昭和47年入学の東上線一家頭・二渡政彦(板橋)頭・佐藤道夫(志木)総武線一家頭・木村頼仁(松戸)頭・山本善治(築地)他、國士舘高校vs朝鮮高校や國士舘大學などの喧嘩実話満載!!

国士舘生

昭和47年入学の国士舘高校一年生で空手をたしなむ奴は多数いたが、天才的な素質となると

普通科の二渡政彦と工業科の木村ヨットの二人に絞られる。体重バランスの取り方が上手いのか

どんな技でも速く綺麗で迫力があった。体格は共に中肉で身長は二渡が170cmあるか無いか

木村ヨットも170cmあるか無いかだ。両者の体重はワカラナイ・・・ お顔は二人共に根性

が有るのが一目で分かり迫力すら感じるのだ。喧嘩時は無言で怒った顔は冷静で恐ろしい面構え

でも物を持ったり卑怯な喧嘩は一切しない。なぜか? 自分自身の喧嘩が攻撃威力や防御完璧で

無数の勝利を体感している男にしか分からない、本当の自信の悟りを得たのだろうか・・・謎だ

ちなみに二渡政彦は板橋極悪創設者であり、暴走族の特攻服を誕生させ、武闘派暴走族の原型だ

築地極悪創設者の山本善治の二人は40年後の暴走族の不良少年からすれば「暴走族の神」だが

同時期の他の弱虫暴徒化暴走族の60前後のお爺さん達が自分達の手柄にする所が「笑える」な

60前後の弱虫暴走族は未だに飲み会開いてるのも、社会の底辺にいる証だな。微笑ましい限り

 魔界こと俺は、50歳代半ば過ぎても日本人の感性では無い・・・ 感覚がカッコイイのだ

 *このサイトでも見て、https://plus.google.com/105660458054032375145/posts 

感性の違いを知りお前らが爺達か悟りなさい。俺は暴走族など大好き最高の和風感性は無い。

話しは戻るが二渡の髪型はアイパーのサイドバックでビット決めてる。学ランはチュウランで

ボンタンだ。多分渡りはば38の22~3cmかな。顔は和風の男前で巻き舌しゃべりだった

いわゆるヤクザ口調。木村は角刈りで浅黒い顔、キックボクシング元祖の沢村忠に悪霊が憑依

した様な凶悪顔で頬に傷。ちなみに国士舘大学と高校の御用達の床屋は、代々木の「成岡」で

アイパーのオールバックやサイドバック、二グロアイパーのサイドバックとオールバックでは

日本一実績だった店。学ランはヨウランやチュウランは豪徳寺の「並木」だ。皮カバンは薄く

した茶色と言うか黄土色のオーチョンバックはツパッリを誇示する存在だった。三面鏡靴とか

45度の銀縁めがねも不良学生の備品だ。女髙生は膝下長めスカートがワタシ不良ですの意味



時は昭和47年の冬に、一歩間違えれば本気本当の伝説となるような大喧嘩ニアミスが

国士舘高校内の三階、普通科一年二組の教室で起こりそうだった。スーパースター二人

の対決で門外不出のナイショ&ナイショ話を始めよう。 他の奴には話すなよ・・・・

その日の昼休みの教室でのことだ・・・  50机椅子はあった所にアート的な感じで

たらふくの柔道部10数人がゴリラのオブジェみたいに、机に寝る姿が同じ形と首向き

満腹の剣道部10人位が机で居眠りする僧侶ようにゴリラの周りに点在した芸術的光景

その一角に二渡を中心とする不良達が5~6人雑談をしていたホノボノとした時流れた

教室の後ろのドアが「ガラガラ」と大きな音をたて工業科番長の木村ヨットが道場破り

の様に立ち、そして「ズカズカ」と偉そうな足音で入って来て「おー二渡~ やろうぜ」

と余裕の雄叫びをあげて二渡に話しかけた。その頃には普通科番長の佐藤道夫は転校済

二渡は「おーいいょ」と、どちらかと言うと嫌いな奴にお付き合いでやってあげる感じ

教室の後ろでリングに上がる対戦者を待つ感じの、自信に溢れかつ眼光に挑戦的な輝き

二渡も挑戦を受けて立つてきな足取りで、木村ヨットの待つ教室後ろに向かって歩いて

木村の前に二渡政彦が来た瞬間に双方ファイティング・ポーズをとりキックボクシング

風に構えた。二渡の構えはキックより幅広くかまえ、極真空手のたしか「鉤突き」かな

その構えに似ていた。双方からだは非常に柔軟で多彩な技を素早く繰り出し引きが速い

これを録画していたら俺は巨万の富を手にした。かもしれなかった惜しーいコトしたぞ

     *もうすぐ(後編)をUpload するから、お見逃しなく・・・・・*