[国立公園鉄道の探索]
上野原縄文の森地層観察館
鹿児島県・錦江湾北岸のシラス台地上にある霧島市国分上野原では、1986年、工業団地を造成中に埋蔵物が発見され、その後の調査により、縄文時代前期から中世にかけての複合遺跡であることが確認されました。
上野原の遺跡は「上野原縄文の森」と名付けられたられた歴史自然公園として整備されています。
展示館では、発掘された土器なども展示されています。
上野原遺跡では、縄文時代早期に造られたとみられる、貝殻で文様をつけ優れた装飾が施された土器が発見されました。
説明文によれば「台地南側の最も高い所には壺型土器が完全な形で埋めてありました」と解説されています。
この場所は、まつりなどの儀式が行われてた場と考えられており、当時豊かな精神生活が営まれていたと推定されています。
国指定の史跡内の広場では、約10600年前の復元集落も見られます。
復元竪穴式住居では、その頃の暮らしぶりがうかがわれる展示もなされています。
史跡広場の一角の地下に「地層観察館」が設置されています。
「地層観察館」では、土地に堆積した土層の中で、土器や住居跡などの考古学資料を含む層を間近に見ることができます。
地下にある地層観察館内は、しっかり空調管理されています。
この「外気処理ユニット」により、換気と同時に適切な温度管理が行われています。
上野原遺跡では、17層の土層の調査が行われ、このうち1~9層の土層で遺跡が確認されたそうです。
8層には、桜島由来のP-13と呼ばれる火山灰層があります。
9層目に茶褐色の地層があり、ここから竪穴建物跡、集石遺構、土器などが確認されました。
「国内で最古級で最大級の定住化した集落」とみられています。
発見された住居跡の中で、10棟程度の建物の埋土が、桜島由来の約10600年前の噴出物に覆われていたため、上野原台地には縄文時代早期には10棟程度の集落が形成されていた、と考えられるようになりました。
土層内上部には厚い火山灰が堆積しています。
現在では、「7300年前」と推定されることが多くなっていますが、これは薩摩半島沖合の鬼界カルデラの大噴火に伴う堆積物です。
この噴火によって発生した大火砕流により、南九州の縄文文化は壊滅したと考えられています。
地層から、大噴火の影響で破局に陥った生活空間が、再生した植生によって復元していく過程を読み取ることもできます。
遺跡内には、約2000年ほどの前の弥生時代中期とみられる掘立柱建物跡が発見された場所も表示されています。
上野原遺跡のあるシラス台地の一角には、錦江湾や桜島を見渡せる秀逸な展望地もあります。