1年半にわたり、お休みしてしまいました。



昨年、実家の母が亡くなり、その3ヶ月後に父も他界しました。


このブログは、母も楽しみに読んでくれていたので、無意識のうちに、母のためにも、という思いで書いていたのかもしれません。

 

 

 

母は活字が好きで、自らも太田治子先生のご指導のもと、文章を書いていました。

 

 

私が朝日小学生新聞の「国語の時間」連載のお仕事をいただきたときも本当に喜んで、朝小新聞の購読を始め、よく感想を聞かせてくれました。



 

 

 

クモ膜下出血で倒れる前の日も、車を運転し、庭を手入れし、父の世話をし、日記もつけていた母。


 

 

 

救急搬送されたときは意識があり、集中治療室では鎮静剤でうとうとしながらも、私の語りかけに目を開けようとしていました。

 

 

 

 

担当医の説明では、手術の成功率は99%、後遺症の心配もほぼないとのことでしたから、私はさほど心配もせず、娘達を呼ぶのは手術の後、少し落ち着いてからにしようと考えました。



 

「なぐもさーん、これから頭の手術をしますよー」という看護師さんの語りかけに、母はいつもどおりの張りのある高い声で「頭の手術というのは難しいものでしょうか?」と言いました。

 

 

 

それが母の最後の言葉となりました。

手術室から出てきた母が目を覚ますことはありませんでした。



 

「memento mori-死を想え」という言葉をしばしば口にしていた母。

自らの葬儀のプランを葬儀社と打ち合わせ済みで、お別れ式(家族

葬)の台本まで用意されていました。



 

7月23日。享年80歳。

 


 

7月終わりの火曜日、私の休みの日に、サプライズで私の家に遊びに行くのだと張り切っていたということを、後から聞きました。



もっと実家に顔を出せばよかった。もっと電話をすればよかった。母からのLINEにもっと長い返事を書けばよかった。手術の前に娘達を呼べばよかった……。


気持ちが後ろにもっていかれそうになると、次女が言います。

 


「後悔したって、仕方ないんだよ。もう終わったことなんだから」

 

 

身も蓋もない言い方ながら、背中を押されました。

 

 

教室のこと、連載や講演の仕事も、よい意味で感情に蓋をしてくれました。




1年と少し経った今、母が私にしてくれたこと感謝しつつ、仕事ができ、娘達をサポートできるありがたさをかみしめる日々です。

 

 

そして、あのときたくさんの方々に助けていただいたことを思い起こします。



母の入院中、卒業生のお父様が医師としての見地から、細やかな助言と温かい励ましをくださいました。


母が亡くなった日の授業後、横浜に向かう私に、生徒さんのお母様がお弁当を買ってきて持たせてくださいました。

 

 

みなさんお疲れでしょうからとおいしい和菓子を差し入れてくださったお父様もいらっしゃいました。


そして、「コラムを休んでも大丈夫、我々はプロだから紙面はちゃんと仕上げますよ」と、お休みをくださった朝小新聞の皆様。

 

 

急な休講や授業日変更にも快く応じてくださった生徒さんと保護者の方々。

 

 

皆様に支えていただいているからこそ、今もこうして仕事を続けることができています。

 

 

本当にありがとうございました。

 

 

そして、これからもどうぞよろしくお願いいたします。