2月6日金曜日。

この日をもって、教室の今年度の中学入試は完結しました。


塾としていかにも、という宣伝をさせていただくなら、今年の入試では、桜蔭の合格者が5名(うち1名は女子学院に進学)も出ました。



厳しい受験勉強に耐えてきた子どもたちの夢が結実し、こんなに嬉しいことはありません。

すべての受験生がこうであったらどんなにいいでしょう。



不測の事態に打ちのめされた子どもたち。

それでも、あきらめずに何日も闘い抜いて、合格をもぎとった子どもたち。

入試が終わった後も、ずっと私の心を占めています。


2月6日、体調を崩して、嘔吐しながらも試験場に向かい、会心の高得点をたたき出したお子さんが、わが教室の大トリを飾ってくれました。


私の誇りです。一番嬉しい合格でもありました。


そんなことをしみじみ思っていたら、思いがけない人が、教室に来てくれました。



「ダイスケくん」です。



10年前、四谷大塚お茶の水校舎が行っていた「入試まで100日」という保護者会の最後に、小川先生が「ダイスケくんの手紙」というのを紹介していたのですが、その「ダイスケくん」が、目の前に、にこにこしながら立っているのです。



彼は小川先生の教え子で、25年前の2月1日に開成中を受験して不合格。そのあと別の中学に進学し、今は、大企業で活躍しています。



彼は大学生の頃、四谷大塚の開成コースのチーフ監督員をしていました。

その年の2月6日、受験生と保護者の方に向けて書いたのが、「ダイスケくんの手紙」です。


多くの保護者の方の共感を呼んだその手紙を、
小川先生とご本人の承諾を得て、ここでご紹介したいと思います。



この入試で傷を負ったすべての「ダイスケくん」とその保護者の方に贈ります。


「ダイスケくんの手紙」

今から11年前の2月3日、とある中学校の合格発表を見に行った時のことです。

 
自分の受験番号が記されていなかった掲示板を見て、しばし呆然としてしまいました。

あの日の合格掲示板が当時の自分へ告げるものは、小4からの3年間に頑張ってきた全てのことを否定するものでしかなかったのです。


正門前で報告を待っていた母にだめだったことを告げると、いつもは日曜テストの結果に激しいほどに一喜一憂する母が、自分には見せたことのないほどのやさしい顔で自分の頭を軽くポンポンたたいた後、

「大輔の頑張りはいつもそばで見てきた。あんなに頑張った大輔に入学を許してくれない学校なんかこっちから願い下げよ!」
と、正門の壁にケリを入れながら言ったのです。


「自分が今まで頑張ったと思っているのであれば、下を向かずに前を向いて胸を張って歩きなさい。

不合格だからって恥ずかしがることではないの。それに合格したからって威張れることでもないの。

それに大輔の頑張りを評価してくれる学校は必ずあるから大丈夫。そこに進学すればいいじゃないの?

問題なのはこの結果を大輔がこれからを生きていく上でどう前向きに捉えられるかなの。こういう結果にはなっちゃったけど、遊びたいのを我慢してひとつの目標に向けて頑張れたことが大輔の貴重な財産になるから、絶対に。

だから決して下を向いちゃだめ。前を向いて帰ろう、ね。」


いつも怒ってばかりいた母が初めて誉めてくれたことと自分の頑張りを実は見ていてくれたことがうれしくて、母の胸の中で泣いてしまいました。

普段は泣きべそをかくと決まって
「男の子なんだから泣くんじゃない!」
としかられるのですが、この時ばかりは泣き止むまでずっと泣くことを許してくれました。


その日の帰り道、母と自分は
「明日の発表だめだったらどうしようか?」
なんて笑いながら話したのを覚えています。



今年もそろそろ中学入試が終わろうとしています。
電車に乗っている子供達が泣き笑いしている光景を見て、11年前を再び思い出した次第です。


皆さんのお子様が5年、10年と経って今日を振り返った時、たとえどんな結果であろうとも良い思い出として振り返ることができるようにと願うばかりです。





ダイスケくんのお母様は、彼が高校生のときに他界されたそうです。


「開成を落ちて、25周年です!」と屈託なく笑う彼を見ていると、彼もまた「勝者」であったのだという思いを新たにします。