授業前のこと。

5年生のAくんが『ことばの練習帳』を携えて質問にきました。

聞きたい問題にはちゃんと☆印がつけてあります。

自分で勉強して納得のいったものにはOKと書かれています。

いいやり方です。

ひととおりの説明をして、「どうかな?」と聞いたら、「わかった」という返事でした。

が、授業が終わってもう一度質問に来ました。

「先生、やっぱりまだわからないのがある」


すばらしいことです。

わかるまで、納得いくまで突き詰めるという姿勢は大歓迎です。


うれしくなって私も「どれどれ」と張り切ってAくんの言葉に耳を傾けました。

彼が引っかかっていたのは次の文。

「わたしが四月生まれで、妹はあくる年の三月に生まれた。」

「わたしが四月生まれで」と「妹はあくる年の三月に生まれた」の関係は、修飾・被修飾の関係ではないのか。なぜ対等の関係だといえるのか、という疑問です。

以下、Aくんとのやりとりです。

Aくん「対等の関係っていうのは、入れかえても意味が通じるって習いました。でも、これは入れ替えると、『あくる年の三月』というのが先にきてしまうから変だと思う」

私「ああ、たしかに『あくる年』っていう言葉が入っているから難しいよね。入れかえても意味が同じっていうのは、どちらも同じくらい大事だっていう意味なんだよ。てんびんに乗せたときに、左右を入れかえても同じ重さになるっていうイメージかな」


Aくん「でもね。塾の先生に『で』というのは、修飾語になるって習いました。だから、『四月生まれで』は後の言葉を修飾しているんじゃないんですか?」

私「うーん、なるほど。よく授業を聞いていてえらいね。その先生がおっしゃった『で』は助詞のことだね。この場合の『で』は助詞じゃなくてね。断定の助動詞『だ』の活用形なんだよ。『四月生まれだ』というのがもとの形で、それが、後に続けるために、『で』になったの」


しばらく頭の中を整理していたAくんは、「わかった!」とニコッと笑いました。


この瞬間が私にとっての何よりのご褒美です。


「さようなら」と教室を後にするAくんに、「また、わからなくなったら聞いてね」と声をかけました。


それにしてもこのAくんの学びのスタイルには、本当に感心しました。

① 授業で教わったことをふまえて自分で考える。

② 習って理解したはずなのに、うまくいかないので悩む。

③ さらに説明を聞き、納得いくまで質問する。

④ 理解して既習の事項を書き換える。


このスタイルが身についてしまえば、もう、放っておいても自分の力で学力を上げていってしまうでしょう。


すでに成績上位者として常連のAくんですが、これから先も本当に楽しみです。


長いこと桜蔭コースを担当していたので、私のところは女の子の生徒さんが多いのでしょう、とよく言われます。


が、Aくんのいるクラスは全員男の子。

「男子校」です。


納得いかないことがあると、わいわいと発言が始まる、強者ぞろいのクラスです。


私も彼らに負けないように、「納得のいく」仕事ができるようにもっとがんばらなくちゃ、と刺激を受けています。