今日は4年生の授業をしてきました。
学習のテーマは「心情読み取り」です。

「物語」は学校でも最も時間をかけてじっくり勉強するジャンルで、
研究授業なども、物語を扱うことがほとんどです。

…にもかかわらず、子どもたちの読み取りのなんと主観的なことか!

学校国語は「感じる国語」です。
「あなただったらどう思う?」
「どんな感じがする?」
「想像してごらん?」
こんな発問が連発され、子どもたちは「どう書いてあるか」ではなく「どう感じたか」を一生懸命表現します。

でも、入試で求められるのは「どう感じたか」ではなく、
「書いてあることから何が言えるか」なのです。

今日のテストでも、「ハッとした」ときの心情を問われているのに、「おどろいた」「びっくりした」「ショックをうけた」などの言葉を思いついたお子さんが皆無に近かったので、それこそ「ショック」をうけてしまいました。「ハッとした」きっかけとなったできごとが「かわいがっていた牛が殺されることを知った」という内容だったので、何の疑いもなく「悲しい気持ち」と答えてしまったのです。「悲しみ」の表情が「ハッとした」表情であるというのは、明らかにおかしいわけで、「ハッとした表情」の人を見て、「あの人は今、悲しんでいるんだな」と思うことは、あり得ません。悲しい心情についてはもっと後の部分で「なみだをこぼす」と表現されているのですが、それまでも取り込んでしまって、「悲しみ」に引きずられてしまったようでした。「感じる国語」の悪しきたまものだと思います。「ハッとした」という表現を読んでいるようで読んでいないのです。正確に読めていないのに何かを感じましょう、というのもおかしな話です。「こう書いてあるから、こういう心情だと考えられる」と筋道立てて考えられるようにすること。これが、心情読解できるようになるために乗り越えなくてはならない最初の壁であるように思います。国語も論理的に考えて答えを出すんだよ、ということがわかれば、お子さんたちももっと国語の勉強を楽しめるようになるのではないかしらと思います。