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金曜日、中2の応用クラスの授業で、次の教材を扱いました。
「ネパールのビール」という随筆で、
筆者は元NHKディレクターの吉田直哉さんです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E7%94%B0%E7%9B%B4%E5%93%89

この随筆は中学受験用の小学生向けから中学生用教材まで、多くの出版社が採用しています。
今は中学2年生用の道徳の教科書にも掲載されているそうです。
私ももちろん、何十回と取り上げてきました。
日本エッセイストクラブ編の「ベスト・エッセイ集」の91年版として発刊されていもいます。

2週間ほど前に宿題として出題していたのですが、
とても大切な文章なので、ゆっくり解説したく思い、
先に文法を済ませて、後回しにしてきました。

内容ですが、検索したところ、全文を掲載したブログやHPがたくさん引っかかりました。
筆者は著作権を放棄しているのかもしれませんね。
しかし、それが確認できない以上、剽窃にならないように「私がまとめたあらすじ」としてこちらで紹介いたします。

昭和60年ごろの話、筆者が撮影のために滞在したネパールのドラカという村は電気もガスも水道もいっさいのライフラインが通っていない場所。
車が通れるような道も無い、したがって運搬なども人力で行うしかない村であった。
環境保護にも「お天道さまに許される生活」にもかなっていると感心するのは文明がある国から一時的に滞在しているものの勝手な解釈、
村人、特に若者は自分たちの生活が世界の中でもかなり不便な部類であることをよく承知し、
都会への憧れは大きいものだった。

そこでは携帯物は最小限に済ませざるを得ない。
筆者たちが真っ先に諦めたのはビールだった。
しかしやはり大汗をかいた仕事の後はビールを飲みたいという気持ちを抑えられない。
「ビールがあればなぁ」という暗黙の禁句を耳にした、現地の少年がいた。
チェトリ君といって、隣の村から来て下宿し、質素な生活をしながら真面目に勉強している、勤勉な少年であった。
筆者たちは1度は断るものの、チェトリ君の熱心な申し出をありがたく受けることになる。
チェトリ君は夕方、5本のビールを背負って帰ってきた。
筆者たちは、大きな拍手で迎えた。

翌日、作業場に来たチェトリ君は「今日は土曜日で学校はもう終わった。明日は日曜日だからもっとたくさん買ってきてあげる」と申し出る。
昨日のビールの味を忘れられない筆者は喜んで、1ダース分の料金と大きなザックをチェトリ君に渡す。
ところが、夜になってもチェトリ君は帰ってこない。
事故ではないかと心配になって村人に尋ねると、みんな口をそろえて
「そんな大金を渡したのなら逃げたのだろう」と言うのである。
それだけのお金があったら、隣村の親のところに戻ってから首都のカトマンズにも行けると。
日曜日になっても、月曜日になっても戻らない。
学校に行って、先生に事情を話して謝罪すると、先生まで「事故などではない、逃げたのだ」と言う。
筆者は歯軋りするほど後悔する。
自分が軽率に日本の感覚でネパールの少年に大金を渡してしまったために、
チェトリ君の一生を狂わせてしまった。あんなにいい少年だったのに・・・と。

ところが、その日の深夜、宿舎の戸が激しくノックされる。
すわ、最悪の凶報か、と慌てて戸を開けた筆者の前に現れたのは、チェトリ君だった。
泥まみれになり泣きべそをかいた彼はこう言います。
「チャリコット(最初にビールを買いに行った街)にビールが3本しかなかったので、峠を4つも越えた町まで買いに行った。10本買えたのだけれど、途中で転んで3本割ってしまった」
そして、割れたビンの破片とつり銭を、筆者に渡すのだった。

筆者は、チェトリ君を抱きしめて泣きます。
そして「近頃あんなに泣いたことはない。あんなに深くいろいろと反省したこともない」と結んでいます。


主題としては「信頼の大切さ」と教えるべきでしょうが、それ以外にも大切な意味をたくさん持っている文章です。
まずは、「大人の責任」
これは、先週に中3の授業で山本周五郎の「青べか物語」を扱ったときにも説明しました。
こちらのあらすじは割愛しますが、子供の純真さを大人の軽率な一言が損なってしまうこともあるという学校教師の自省が出てきます。
「ネパールのビール」でも、子供の罪を誘発するような行為を大人がしてはいけない、子供の人生を狂わせてしまうという教訓が語られていますね。

それから「自分の国の金銭感覚による行動の危険」もあると思います。
日本では「たかだかビール1ダースが買える程度の金額」でも、「家族全員が一ヶ月以上遊んで暮らせるほどの大金」である国も少なくないのです。
生まれてから1度も見たことのないような大金に、心が揺れても「日本の恵まれた青少年」に比べて仕方ない面があると理解して行動すべきだったのでしょう。

そして、「文明国の大人の汚れた心」もあると思います。
筆者は、村人や学校の先生に「チェトリ君はお金を持ち逃げした」と聞かされ、チェトリ君を疑います。
だからこそ「あんないい子の一生を狂わせた」と自分を責めたのです。
しかし、チェトリ君は逃げたのではなかったのです。
彼は、ほんのわずかも自分の利益など考えてはいません。
ただひたすら、遠方から来たお客さんが喜んでくれるから、それだけの思いで、
ビールを買って来ようと申し出、遠い町まで使いに行ったのです。
そして、大した過失でもないのに「転んで割ってしまった」ことを深く悔い、
泣きながらお金をごまかしたのではない証拠とつり銭を渡して、詫びるのでした。
その純粋な心に比べて、文明国の感覚で安易に大金を渡し、
チェトリ君を疑いまでした自分を、筆者は深く深く恥じます。
その場面ではいつも涙してしまいます。
チェトリ君の、優しさ、思いやり、純真さを思って。

このチェトリ君の信念は、主題である「信頼の大切さ」につながりますね。
チェトリ君は「約束を守るため」に、ただそれだけを心に行動したのです。
彼は筆者たちにどんなに感謝されても、感動されても、きっとこう言うだけでしょうね。
「僕は約束を守っただけ」と。

この作品を指導するとき、私はいつも思います。
人として優れているという人は、どんな人だろう?
文明が進んでいるとか、科学技術が進んでいるとか、
お金があるとか便利な暮らしをしているとか。
そういうものも価値があるかもしれないけれど、
「人と人との信頼を守れる人」こそが人間として最も優れた人と呼べる条件ではないか、と。


この作品は、私が小中学生の指導をしている限り、
必ず取り上げたい教材の1つです。

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