ことわざ慣用句は、間違って覚えられているものも少なくありません。
間違った解釈のほうが一般的とされるもののひとつに「情けは人のためならず」というものがあります。

これは本来の意味は「情けをかければ回りまわって自分のところにも返ってくる、情けは他人のためでなく自分のためである」というものです。
しかし、「情けをかけることは人のためにならない。相手のことを思えば、心を鬼にして冷たく突き放すことも必要」という意味にとっている人も多いようです。
事例を挙げると、例えば後者は「親友に宿題を写させてくれと頼まれたが、情けは人のためならず、本人のためを思って拒否した」という例が挙げられます。
一方前者は「塾に行く途中でおばあさんから道を聞かれた。急いでいたが、情けは人のためならず、田舎にいる自分の祖母のことを思って、道案内してあげた」というものです。

生徒でも、間違った解釈をしている子もいるのですが、こういう具体的な事例を挙げると納得してくれ、また2度と間違えないようです。

このことわざは、正しい解釈は「功利的」「利己的」、つまり結局自分の利益を重んじているという点であまり望ましくない、
それよりは間違っているとされる解釈のほうが、他者を思いやる気持ちがあってよい、という説もあります。
ただ、「回り回って」という考え方は、必ずしも「功利的」「利己的」とは言えないのではないでしょうか?

例えば、誰かに優しくされたことがない人は、自分も人に優しくなれないものです。
今まで、自分の利害得失を考えないで人に優しくすることを知らなかった人が、
無償の愛を受けて、その価値を思い知り、自分も他人に優しくなれる、
そういうことが次々と広がっていて、優しさの輪が生まれる。
私は、このことわざはそういうことが言いたいのだと思います。

自分の心に余裕がないと、なかなか人に優しくなれないものです。
でも、ちょっぴりでも余裕ができたなら、その恩恵を次の人に伝えたい、
そう思える人間でありたいです。
今回の大震災でも、被災せず恵まれた立場にあると自覚した人がたくさん善意の行為をなさいました。
そして、それを受けた人が、さらに恵まれない人にその善意を分け与えているようです。
順繰り順繰り回って、その善意は、いつか最初に誰かに情けを書けた人に返ってくるのではないでしょうか?
たとえ、本人に対してでなくても、、きっとその人に関わる誰かが、誰かに助けてもらっているはずです。
この「情けは人のためならず」ということわざの背後に秘められている意味が、
「お互い様」の心だとしたら、それはとても価値あることのようにおもわれてなりません。

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