お子様が読む行間は、自身の体験・考えに左右される | 悠太郎が綴る中学受験国語と、ときどきパパナス育児ブログ

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文章をどう読むのか

 

という記事、あまりあげてないのですが…

 

基本的には、

 

書いてある通りに読もう

 

ということになります

 

 

そこには、何か特別なやり方があるわけでなく……

 

説明文、論説文のように、

 

話題があって、その論拠が合って、反論があって、というように、

 

ざっくりと、大きくわかられる形式があれば、それを意識して。

 

 

物語文では、まぁ、いろいろなやり方で区切ったりして、

 

それから全体をとらえたり、と。。。

 

 

全体像を問うものは、1問あるかどうかなので、

 

概ね、一場面の中での、一部の人物の気持ちや考えが問われます

 

 

そして、その部分での選択肢文は、

 

こんなことが起きたのでこう思ったのでこういう気持ちになった

 

みたいな、形式です

 

要素的には、三つ

 

出来事 + 解釈 + 気持ち

 

みたいな、構造

 

 

出来事の部分に関しては、まぁ、そのまま

 

傍線の周辺に書いてあることが来やすく、

 

気持ちの部分に関しては、傍線そのもの、ないし、出来事からの推測がメインとなります

 

ならば、間の解釈は??

 

という話になるのですが……

 

 

うん、この部分が、ある種、「行間」になっています

 

選択肢文なので、筆者の意図したもの、というよりは、

 

作問者の意図が、反映されていることが多いでしょうが。

 

 

この行間に関しては、いずれにせよ、

 

はっきりと書いていなくとも、

 

書いてあることをもとに、推測するべきなのですが……。。。

 

 

うん、お子様に多いのが、

 

自身の体験とか、考えが大きく反映されたものです

 

 

大人はどうなのか?というご意見ありそうですが、

 

大人の場合も、それらが反映されること、それなりにありましょうが、

 

ただ、物語文(フィクション)を読んでのことなので、

 

実体験よりも、同種のフィクション作品が呼び起こされやすいようです

 

つまりは、

 

お子様「以前、似たような体験をしたから、こうだ」

 

大人「以前読んだお話に似たようなものがあったから、たぶん、こうだろう」

 

という違い

 

(言うても、断定か、推量か、という差はあります)

 

 

お子様の場合は、自身の体験からの引用のために、引用するエピソードが絶対に少ないです

 

大人の場合は、多様な作品から検索をかけているので、正解しやすくは、あります

 

(…特定すぎる状況、特定すぎる何かがあれば、他の違いをスルーして、体験を呼び起こすことも、ありましょうが……)

 

 

…本文から推測する、つまり、根拠を持つことが大切なのですが、

 

出来事が何かしら被ると、

 

それに引きずられる傾向がありますね……

 

 

さて、お子様の場合、体験・考えに左右されやすいとしました

 

 

今まさに、現在進行形で、学校生活を送っていると、

 

人間関係・成績関係・学校行事関係で経験を積み、

 

家族から、家族関係を、体験?している最中です

 

ただ、これは、ちょっと、簡略化しすぎ、かも、ですが。

 

運動が得意なお子様が、

 

「運動が苦手な主人公が、運動会前に憂鬱な気持ちを抱く」

 

ことを、誤読するかどうかといわれると、

 

そこまでではないです

 

(ないとは、申せません……

 

やはり、というとなんですが、

 

同年齢よりも、かなり幼さを感じるお子様が、

 

この種の間違い方をよくします

 

……精神年齢、というもののを、否定する記事を書いた身で、

 

なんですが……。。。

 

近々、「幼さ」というものを、記事にしますか……)

 

(……起こりやすいもとしては、離婚・再婚・友人か近親者の死など、高学年で習うテーマでもあり、お一人でため込みやすく、他者と話題が共有しづらい体験かな、と……)

 

 

体験よりも、考えの方で、わりとよく起こりえます

 

ちょっと、体験と不可分な域でもあるのですが、

 

自分だったら、こう考える

 

というものを、優先する、ということですね

 

その体験、というものは、

 

実際に自分が何かをした

 

ということだけでなく、

 

まわりから、こう言われた

 

ということも、含めます

 

つまり、

 

(道徳)教育に類することが、その根拠になりうる

 

ということです

 

幼少期のころから、何度も、周囲の大人から、

 

こうしなさい

 

これしちゃ、だめだよ

 

というもの、つまり、「これが正しい」、「これは間違っている」ということ

 

それらが、刷り込まれ、それをもとに答える、ということですね……

 

そういう意味では、道徳的すぎる選択肢は、お子様のその種の間違い方を狙ったもの、とも言えます

 

 

 

 

ならば、どうするのか、というお話になるのですが……

 

それは、また、後日に、ということで……。。。

 

 

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今更ながらの自己紹介

 

 

吉祥寺にあります、AMPという塾にて、

 

 

国語を教えています

 

 

http://amp01.com/


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