「もしもお父さんに意識があってしゃべれたら、なんて言うと思う?」
これまでずっと黙っていた母が、人気のないデイルームでそう口を開いた。オレはその問いかけに、迷うことなく答えた。「オレのことはいいから、みんなで式場に行って、大介とリカちゃんを祝福しろ!そう言うかもね」弟も同じ答えだった。そして、母はオレたちの意見を聞いてからゆっくりとこう言った。
「わたしもそう思う。お父さんは、きっとみんなで行けって。だから、行こうか。みんなで大介の結婚式に」
オレはそのことばを聞いてすかさず母に言った。「でも、そのときもしものことがあったら、誰も最期を看取ってやれないんだよ?それでもいいの?」すると、母は決意を固めた表情でこう言った。「結婚式中にお父さんになにかあったとしても、みんなで大介とリカちゃんの結婚式を見届けよう。それが、お父さんの願いだと思うから」まさかの答えだった。誰よりも父のことを想い、いつもどんなときもずっと側にいて、でも、めちゃくちゃ泣き虫で弱虫な母が、こんなふうに決意を固めるなんて夢にも思わなかった。それは、父を一番に想うからこその、母の決断だった。
「だから、結婚式はみんなで出席します」
こうして、母のこのことばでオレたち家族は覚悟を決めた。
「だから、結婚式はみんなで出席します」
こうして、母のこのことばでオレたち家族は覚悟を決めた。
その日も、病室にはオレが泊まった。
母と弟はかなり憔悴しきっていたから、明後日の結婚式に向け面会時間の終わりとともに病院をあとにしていた。病室には、変わらず寝たきりの父がいる。父には、結婚式には出られないということは、当日の朝伝えることにしていた。だから、オレは父の枕元でこう言った。「今日は、3月30日。大介の結婚式まであと2日だよ」
オレは、もしものときにと用意していたものをバッグから取り出した。それは、箱根旅行で父に贈った紙芝居だった。その紙芝居を父にエールとして届けよう。そう思った。オレは、父の枕元に椅子を置き、「イノチくんとオモイデくん」という紙芝居を読んだ。父の意識は変わらず朦朧としている。40歳の息子が65歳の親父に病室で2人っきりで手描きの紙芝居を読む。はたから見たらちょっと笑えてくるけど、オレはきっとこれが最期の紙芝居になるんだろうなと、どこかでその覚悟を決めていた。「あともう少しだけがんばろう!」そんな願いを込め、オレは紙芝居を読んだ。
目の前には父がいる。でも、ロマンチックライブで大手を振って紙芝居を喜んでくれた父は、もうここにはいない。その右手は、せん妄で相変わらず円を描いていた。でも、なんだかそれは、あの日の右手みたいだった。オレに向かって振られた「たかしがんばれー!」の右手みたいだった。
そして、紙芝居を読み終えると、父は結婚式に向け体力を温存するかのように、穏やかに眠りについていった。そして、そんな父を見て、オレはあることを思いつく。
時刻は、23時を回ろうとしていた。
「もしもし、大介?あのさ、明日なんだけどさ、病室で結婚式挙げない?」
オレは消灯で真っ暗になっている病院から、弟に電話をした。「え?でも、そんなことしたら変に勘ぐったりしないかな?」弟は心配そうに言った。「大丈夫。結婚式の予行練習をしようってことで言えばいいから。大介とリカちゃんが指輪交換とか緊張してできなそうだから、その予行練習ってことにしてさ。オレが神父役やるから」「わかった。里佳子はもう寝ちゃったから、明日また聞いてみる。指輪も借りれるか確認してみる」
病室に戻ると、父はおだやかに眠っていた。オレはその寝顔をしばらく見てから、ベッドに入った。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
時刻は、23時を回ろうとしていた。
「もしもし、大介?あのさ、明日なんだけどさ、病室で結婚式挙げない?」
オレは消灯で真っ暗になっている病院から、弟に電話をした。「え?でも、そんなことしたら変に勘ぐったりしないかな?」弟は心配そうに言った。「大丈夫。結婚式の予行練習をしようってことで言えばいいから。大介とリカちゃんが指輪交換とか緊張してできなそうだから、その予行練習ってことにしてさ。オレが神父役やるから」「わかった。里佳子はもう寝ちゃったから、明日また聞いてみる。指輪も借りれるか確認してみる」
病室に戻ると、父はおだやかに眠っていた。オレはその寝顔をしばらく見てから、ベッドに入った。
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翌朝。目を開けると父も起きていた。
「おはよう。今日さ、夕方大介とリカちゃんが来るから、結婚式の予行練習付き合ってあげて。なんかめちゃくちゃ緊張してるみたいでさ。頼むよ」
父は理解できたようで右手をちょっとだけ挙げた。そこへ看護師の飯島さんがやってきた。オレはさっそく飯島さんに今日の結婚式の予行練習の話をした。飯島さんは笑顔で賛成してくれた。「国分さん、明日はついに結婚式ですね!今日は予行練習もありますし、お体キレイにしましょうかね!」飯島さんは、頭を洗うための台、ひげ剃り道具、体を拭くタオルや桶、歯磨きセット、すべてを用意し父のためにやってくれると言った。それはまるで本当の息子のようで、オレはとっても嬉しかった。でも、末期ガン患者にとっての入浴は、かなりの重労働になる。だから寝たまま頭を洗ってくれることになっていたのだが、父はそれを最後までこばんだ。きっと、結婚式まで無駄な体力を使いたくなかったんだと思う。飯島さんもそれを理解してくれ、ひげ剃りと歯磨き、そして全身をキレイに拭いて、父の身支度を整えてくれた。
「国分さん!これで準備万端です!」
そしてこのあと、病室でキセキが起きる。それは、オレたち家族にとって一生忘れることのできない最高の時間となる。
父が亡くなる前日のことだった。
つづく