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ある日のことだった。

病室でいつものようにたわいもない会話をしていると

「なあ、ひとつだけ頼みがあるんだけどさ、家族でもう一度旅行に行きたいんだ。さかえちゃんには毎日病院通いさせちゃって、辛い想いをたくさんさせちゃったからさ、笑ってほしいんだたくさん」

それは、父の願いだった。母に笑ってほしいというたったひとつの願い。オレは早速、弟とその願いを叶えるべく、旅行の準備をはじめた。

そして、2016年2月末。父はすべての治療を終え、病院を退院した。

旅行の行き先は、箱根。3回目も、やっぱり箱根だった。父の体力はかなり落ちていたし、近場で、なおかつ部屋に露天風呂があって、みんなで同じ場所に寝たいというのが父の希望だった。そして、オレたちは箱根でめちゃくちゃデカい部屋を予約した。もちろん、部屋に露天風呂だってキッチンだってある。ベッドルームは3部屋。なんとも豪勢な旅館に行くことにした。

もしかしたら、これが最後の家族旅行になるかもしれないという思いを胸に抱き、めちゃくちゃ最高の旅行にしてやると心に誓い、オレたちは箱根へ向かった。

そして、この旅行にオレはあるサプライズを用意していた。それは以前、ロマンチックライブで父が喜んでくれたロマンチック紙芝居だった。

こうして、オレは【イノチくんとオモイデくん】という紙芝居を作った。父と家族に、勇気をプレゼントしたくて。オレは、その紙芝居をバッグに入れ箱根旅行へと向かった。


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箱根旅行は2泊3日だった。

初日は、父の大好物のうなぎを食べに行った。しかし、あろうことか、その日に限ってうなぎ屋が休みというスタート。急遽、オレたちは地元神奈川の名店 ハングリータイガーに向かった。ハングリータイガーとはハンバーグ屋さんで、こどもの頃から家族みんなでよく食べに行った、オレたち兄弟のそして家族のソウルフードだ。うなぎの代わりは、ハングリータイガーしかつとめられない。

いつもと変わらぬハンバーグの味。それを食べながらこんなことを思った。ここに来て家族みんなでハンバーグを食べるのも、もしかしたらこれが最後になるのかなって。そんなセンチメンタルが一瞬頭をよぎった。でも、すぐにそんなことは肉汁と一緒に胃袋に流し込んでやった。この旅行に、おセンチはいらないなって。父も美味しそうに半分くらいをたいらげた。そして、お腹が満たされたオレたちは、いざ箱根へ向かった。

宿に着いたのは、夜の23時。すっかり遅くなってしまった。エントランスに着くと、宿の人が車椅子を用意してくれていた。その車椅子に父を乗せ、みんなで部屋へ向かった。この宿は、25年ぶりに行ったときと同じあの宿だった。違うのは、この宿で一番広い部屋だということだった。案内の人がドアを開けた。するとそこには、本当に大きな部屋があった。父も母も目を丸くしていた。
だが、宿に着くなり、父は車に長いこと乗っていたからだろうか、疲れたから横になると寝てしまった。久々の外出。そして、箱根という場所の寒さや気圧の変化に、父はうまく順応できないようだった。

「よし、今日はもう遅いし、明日に備えて早く寝よう」

このときオレは少しだけ不安に思い、弟とこんな話をしていた。「もしかしたら、体調的にあまりいろいろなところには行けないかもな。そのときは、温泉でゆっくり湯治をしてもらおう」オレは弟とともに露天風呂へ向かった。

でも、そんな思いとは裏腹に、まさかこのあとあの温泉好きの父が、一度も温泉に入ることなくこの箱根をあとにすることになるとは、このときは想像さえしていなかった。


つづく